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 第三章 占領と戦後改革
   第一節 占領と県民生活
    三 福井震災
      公安条例
 救援活動は、民間団体である県連合青年団、県連合婦人会や、曹洞宗永平寺、浄土真宗東・西本願寺、YMCA、天理教などの宗教団体によっても積極的に行われた(『福井震災誌』)。同様に県労働組合協議会や在日朝鮮人連盟も震災後まもなく救援活動を開始したが、福井軍政部は当初からこうした労働組合や左翼勢力による活動を災害後の混乱に乗じた政治的煽動とみなし、きびしく取り締まった。
 さらに翌月には秩序維持を目的として、福井市では七日に「災害時公安維持に関する条例」が、県では一六日に「震災臨時措置条例」が制定された(資12下 六八、七一)。これによって七月一一日には、県外から救援にかけつけた中野重治ら共産党員一三名が政治的煽動を行ったとして自宅に押送された(中野重治『愛しき者へ』下、『福井新聞』48・7・13)。一三日までに国警県本部の発表では四五名が県外退去となり、さらに調査で来県した岩田英一、布施辰治らの追放、全逓・国鉄労組など組合員の検束・出頭通告があいついだ(『福井新聞』48・7・14、福井県民主団体協議会『福井震災をめぐって 弾圧の真相をあばく』)。
写真50 公安条例による「不当弾圧」を訴える冊子

写真50 公安条例による「不当弾圧」を訴える冊子

 この条例は「人心を惑乱する虚偽の事実又は不確実なる情報を流布すること」や「災害復興を阻害する一切の言動をなすこと」などを禁止していたが、そのあいまいな規定から憲法が保障した表現の自由をおかすおそれがあり、治安警察法の廃止後、戦後初の集団行動を規制する「公安条例」として全国的に注目をあつめた。翌八月には、産別会議・国鉄労組・全逓労組・電産労組などによる生活権確立共同闘争委員会の調査団が来県した。一三日には福井神社に約一〇〇〇名が集まって同調査団の歓迎大会が開かれ、労働組合に対する弾圧反対と公安条例の撤廃を要求した(『福井新聞』48・8・15)。
 地震発生の一週間後には「不安去り犯罪減」ったことが報じられ(『福井新聞』48・7・7)、極端な治安の悪化がみられなかった状況下での条例の制定は、直接には当時の軍政官ハイランドの反共的な姿勢によるものが大きいといえよう。彼が地震直後の六月三〇日に叙述した「月例報告書」では、「在日朝鮮人連盟がトラックに旗を掲げ、彼らがあたかも県の救助活動の一翼を担っているかのごとき文句を書いたテントを張り、活発に運動している。彼らの主張も目的も欺瞞である」とされた。さらに翌月には「地域的な緊急措置法(公安条例)が、日本側により厳格かつ継続的に実施されることにより、他地域より本県に派遣されているあらゆる破壊活動分子の活動は抑えられている」と公安条例の成果を報告していた。
 なお、県の条例は同年一一月に議会で廃止が可決され、市の条例は翌四九年七月に廃止された。



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