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 第二章 日中戦争から太平洋戦争へ
   第一節 戦争動員体制の強化
    四 戦時下の学校
      教育審議会の改革構想
 日中戦争が開始された五か月後の一九三七年(昭和一二)一二月に内閣直属の諮問機関である教育審議会が設置された。これ以後の教育改革の基本はこの審議会の答申した改革構想に沿って実施されることになる。教育審議会は「内閣総理大臣ノ監督ニ属シ其ノ諮問ニ応シテ教育刷新ニ関スル重要事項ヲ調査審議」し「内閣総理大臣ニ建議」するという任務をおびていた(「教育審議会官制」)。教育審議会は、四一年一〇月の第一四回総会までの三年一一か月の審議期間を要した。改革構想の基本は当時の戦時ファシズム体制における皇国民錬成の教育であり、それは同時に「興亜教育」の名のもとに満州その他のアジアにおける植民地教育政策のための改革案でもあった。審議会のもとにつくられた特別委員会は初等教育・中等教育・高等教育・社会教育・教育行政および財政の五部門に分けられた。そのなかでとくに初等教育に関するものは、具体的には小学校から国民学校への改称、八年制の義務教育年限延長の提起、「国体の本義」にもとづく教育内容・方法の改革であった。その皇国民錬成の教育は家族的国家観にたつ国民教育であり、無条件無定量の国家に対する犠牲的奉仕の精神の育成こそが根本とされた。このような改革の方向で、国家主義的な戦時教育体制が進行していくのである(『日本近代教育百年史』5)。



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