県下の死亡率(人口に対する比率)とりわけ結核死亡率は、隣県の石川県ほどに顕著ではなかったものの、福井県も同様に一九二二年(大正一一)から二六年(昭和元)の平均で全国三位と高位にあり、その後三五年までの一〇年間も二位から七位と上位を占めていた(福田真人『結核の文化史』、『福井県衛生統計要覧』三八年)。
都市から農村部への結核の蔓延は、社会問題として注目を浴びてきており、内務省は一八年(大正七)から二七年(昭和二)にかけて農村保健衛生状態実地調査を開始した。福井県では翌年の今立郡粟田部村(内務省による直接調査)をはじめとして、足羽郡酒生村、吉田郡吉野村、坂井郡磯部村、大野郡猪野瀬村、丹生郡天津村、南条郡北杣山村、敦賀郡中郷村、三方郡耳村、遠敷郡野木村と全国でももっとも多い一〇か村に対して衛生調査を実施しており、これらの村の多くは結核死亡率がとくに高いことを理由に選定されていた。結核の感染経路について粟田部村の事例では、正確な認定はできないものの村内の機業場での感染が八割に達しているとされ、これ以外の地域では「機織工女及京阪地ニ出稼ギスル商業見習者ニヨリ本村ニ移植セルモノト推断」(吉野村)のように、機業従事者と都市への出稼ぎ者によって村内に持ち込まれたことを推測していた(『農村保健衛生状態実地調査報告』、内務省衛生局『農村保健衛生実地調査成績』)。 |