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 第二章 日中戦争から太平洋戦争へ
   第一節 戦争動員体制の強化
    三 戦時下の衛生・社会行政
      厚生行政の登場
 一九三八年(昭和一三)一月、若年層の体力低下を憂慮した陸軍の強い要請によって、内務省衛生局・社会局、逓信省簡易保険局を統合して厚生省が新設された。厚生省は当初、「国民体力の改善向上ならびに国民生活の安定を期すため」社会事業や社会保険、労働行政を総合的に管轄するとされたが、四一年八月には社会事業を担当する社会局は生活局へ改組され、さらに健民局指導課へと縮小されていくなかで、従来の救貧的な事業は比重を下げ、厚生行政は戦力増強のための人的資源の保護育成に収斂していく(『戦後厚生省二十五年史』)。
 厚生省の設置にともなって、福井県では同年二月、それまで警察部工場課長(工場監督官)と兼任であった学務部社会課長が専任となり、四二年一一月の県庁機構の改編によって、社会課の業務は内政部兵事厚生課に引き継がれた。このさい衛生課も警察部を離れて内政部に移っている(「大正昭和福井県史 草稿」)。
 ここでは、こうした厚生行政のうち、まず大正期から着目されながら、本格的な展開は、戦時体制下に行われることになる県の衛生行政をとりあげ、つぎに戦時下の県民生活の悪化にともなう種々の救貧制度・軍事援護の実施とその後者への拡大、さらに「同朋融和」「内鮮一体」を目的とした被差別部落民や朝鮮人に対する組織化の動きについてみていこう。



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