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 第五章 大正期の産業・経済
   第四節 社会資本の整備
    二 地方鉄道の敷設
      福井県の軽便鉄道敷設計画
 明治三十九年(一九〇六)三月、「鉄道国有法」が制定され、私設鉄道三七社五二三一キロメートルのうち一七社四八二六キロメートルの幹線が買収の対象となった。官線はいっきょに営業キロの三二パーセントから九〇・九パーセントに拡大した。私設鉄道の開業は、三十、三十一年度の二〇社に対して、四十一、四十二年度には一社となり、私設鉄道は魅力に乏しい事業となった。
 政府は、四十三年四月に「軽便鉄道法」を制定して、民間の資金による地方鉄道の敷設を促した。「軽便鉄道法」は、「私設鉄道法」に対して、個人にも免許資格があることや一回の免許審査で敷設できること、軌間が官線と同じ一〇六七ミリメートルでなくてよいこと、道路上への敷設も可能であることなど、規制の緩やかな法律である。これにより局地的な軽便鉄道の敷設を特徴とする「第三次鉄道ブーム」が到来した。四十三年度の開業数は一五社・三七一キロメートルとなり、大正七年度には延長三一〇六キロメートルに急成長した。福井県でも、大正二年に米原・直江津間が全通して福井・東京間が二〇時間余で結ばれ、長距離大量輸送の交通体系の完成と重なり、多くの軽便鉄道が計画された(小谷正典「福井県における軽便鉄道の敷設」『福井県史研究』一二)。
 福井県の嶺北地方の鉄道敷設計画について、表227からつぎの特徴がみられる。第一に、軽便鉄道の全国的な特徴の通り、北陸線の武生・鯖江・福井・丸岡・金津の各駅を起・経由点に周辺の町を結ぶ小規模な鉄道が計画されていることである。第二には、六社のうち五社に電気鉄道の計画(実現は一社)がみられることである。第三には、発起人が、京都電灯の経営する越前電気鉄道を除き、沿線地域の住民で構成されていることである。第四には、越前電鉄は一〇六七ミリメートルの軌間を採用しており、県下の軽便鉄道計画としては別格であった。



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