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 第五章 大正期の産業・経済
   第四節 社会資本の整備
    一 電気事業の発展
      大規模発電所の建設と長距離送電
 第一次世界大戦下の好景気は、大都市で極端な電力不足を生んだ。火力の比重が大きい関西では、石炭価格の暴騰で電力供給体制の転換が必要となり、大正四年(一九一五)に猪苗代・東京間の高電圧長距離の大量送電に成功したことから、巨大な包蔵水力をもつ中部山岳地帯が注目された。高度な技術と巨額の資本が求められ、発電・送電と配電の分野に分離されて電気卸売業が起こり、売電・受電によって系列化やグループ化が進んだ。
 六年九月、山本条太郎が九頭竜川の大野郡五箇村西勝原の水利権をもとに、資本金六〇〇万円の北陸電化株式会社を設立し、福井県の既存の全発電量を超える七二〇〇キロワットの西勝原水力発電所の設立を計画、八年八月に竣工し事業を開始した。電力の卸売を目的とする福井県初の水力発電所で、出力の三割を県下の京都電灯福井支社・越前電気・大正電気の三社が受電している。この北陸電化を中心に京都電灯と大阪電灯が提携して、八年十月に日本水力株式会社が資本金五〇〇〇万円で設立された。同社の水利権は、富山・石川・福井・岐阜・滋賀・京都の一府五県に広がっていた(『京都電灯株式会社五十年史』)。また同年末には、大阪送電と日本電気の両社が設立されており、三社ともに、中部山岳地帯の電力を大消費地の関西への送電を目的としていた。
 九年十月、大阪送電を主力に日本水力と木曽電気興業が合併し、十年二月、電力卸売を業務とする大同電力株式会社が資本金一億円で設立された。同社は、東京電灯・東邦電力など五大電力会社の中位で、木曽川・天竜川・庄川・九頭竜川などの水系が影響下にあり、西勝原水力発電所は大同電力に移った。京都電灯・越前電気(各一〇〇〇キロワット)、大正電気・福井電力(各二〇〇キロワット)の各社が電力の供給をうけている。なお、同電力は、打波川の五箇村東勝原・下打波、九頭竜川の阪谷村花房の三か所に一万二二〇〇余キロワットの発電許可をうけていた。昭和元年十二月に、傍系会社として、九頭竜川・庄川両水系の電力卸売会社である昭和電力株式会社、資本金四〇〇〇万円が創設された。東勝原と下打波の権利をうけて、十二年には出力二六一〇キロワットの東勝原水力発電所が、十四年には四五〇〇キロワットの下打波水力発電所が開業している。
 大正十二年、西勝原発電所の上流に、白山水力電気株式会社の第一西勝原水力発電所出力一万五〇〇〇キロワットが開業、大部分は県外に送電された。同社は、八年に資本金一〇〇〇万円で創設され、昭和八年には矢作水力株式会社に合併した。



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