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 第一章 近代福井の夜明け
   第一節 明治維新と若越諸藩
     五 越前真宗門徒の大決起
      攻撃目標・主導的諸階層
 まず今立郡下で、在方町的な性格の粟田部村の場合、豪農商の筆頭として攻撃目標の矢面にたたされた木津群平については、住家・土蔵のほか、酒蔵や生産用具の水車・農具類、それに諸生産物までが徹底的に破毀されている。さらに大商人飯田上祐(戸長)の油蔵、木津次平の海産物、法幸治郎三郎の砂糖類の諸商品が、大量に破損ないし焼却されるが、一揆勢として、攻撃対象者の生産および商業活動を一時まひ状態に陥れることをねらったのは明らかである。その背景には、商人資本によるきびしい収奪が、とくに日雇・雑業の賃稼ぎ層や借地人層など下層民の強い反発をかった事情がひそんでいたものとみられる。
 また、旧大野藩の城下町である大野町の場合も、攻撃の矛先が、前述の元足羽県支庁・商法会社・高札場のほかに、町内きっての豪商で県内外各地の「大野屋」の総本店大坂屋七太郎や、酒造業者の布川源兵衛、海産物商の中野屋又兵衛らにも集中し、大坂屋の住家・店舗はじめ諸商品のすべてを焼き払い、さらに布川家の住家・土蔵とともに酒蔵を破毀、「一時ノ間ニ酒道具いろいろ残らず間ニ合はざる様打クタき」、酒造用原料品をいっさい破却したのは、今立郡粟田部村の木津家の場合と同様に、「世直し型」的状況が認められる(図2)(東方治男家文書)。
図2 大野町内の攻撃対象

図2 大野町内の攻撃対象

 この一揆には、町内でも下層町民の比較的多い横町、春日町、末吉町方面からの出動が目立ち、そのうちとくに桶屋治助(桶屋、末吉町)は、布川家を破毀し、元足羽県支庁、豪農の杉本弥三右衛門宅(木ノ本領家村)および正津孫十郎宅(菖蒲池村)の放火により、極刑に処せられている。また桶屋治助に同行した小坂屋小太郎(小商い)らは、春日町に居住するが、同町の総戸数五六戸のうち、借家戸数が三一戸(五五・四パーセント)を数え、そのうち日雇・雑業の下層町民が約三割を占めている。しかもこの方面は、郡内の上庄地区からの一揆勢が、町内に侵入する際の通過地域でもある。
 大一揆に先立ち、「護法連判」の主導的役割を果たした上庄地区の木ノ本地頭村の場合、全一九一戸のうち、無高を含めた五石以下の貧農層が一二七戸(六六・五パーセント)と圧倒的に高い比重を占めている。また、同村は畑方村落の性格を帯び、養蚕・楮・漆実など貧農層の農間稼ぎの存在にもかかわらず、総体的に農民層の貧窮分解の傾向が顕著である。同村の高橋太右衛門は、持高わずか五斗八升五合の下層農で、桑崎与八郎(持高六石一斗)とともに一揆勢を主導し、元足羽県支庁に乱入したほか、高橋の場合は、前述の桶屋治助とともに、豪商布川家を打ちこわし、さらに豪農杉本弥三右衛門宅の放火に手を貸すなど、まさしく、大野町の下層町民と農村の下層農との連携・同盟関係を象徴的に示すものといえる。
 このように、大決起の展開過程で、真宗寺院僧侶とともに門徒層として、農村では一部上層農のほかに中層農、さらに下層農が積極的に出動する「惣百姓型」一揆の様相をみせ、また在方町では、特権商人・=・高利貸資本とは真っ向から対立する賃稼ぎ層などの主導的役割のもとに、中小商人・職人層の広汎な参加がみられたのである。



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