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 第一章 近代福井の夜明け
   第一節 明治維新と若越諸藩
     五 越前真宗門徒の大決起
      石丸発言とその波紋
 今立郡定友村(今立町)の唯宝寺(本願寺派)出身で、教部省一一等出仕の石丸八郎(還俗前は良厳)が、明治六年(一八七三)一月、郷里に帰省した。そして地域の寺院廃合や小教院設置の急務を唱え、各寺院に「三条の教則」を守るよう誓わせたことが、真宗寺院僧侶・門徒農民層の間に、意外な波紋をひき起こした。しかも「石丸発言」が、「耶蘇」の教法であると喧伝され、その情報が隣接の大野郡に及ぶと、友兼村の専福寺(真宗高田派)住職金森顕順、上据村の最勝寺(本願寺派)住職柵専乗、同村の上層農竹尾五右衛門らを中心に、同月下旬には、およそ六五か村の「護法連判」が行われた。石丸を「耶蘇宗の者」とみなし、「耶蘇」の侵入には、村ごとに「南無阿弥陀仏」の旗を押し立て、断固一揆の強硬手段で対抗することを誓い合ったのである。



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