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 第一章 近代福井の夜明け
   第一節 明治維新と若越諸藩
    三 諸藩の藩制改革
      藩治職制
 慶応四年(一八六八)閏四月、維新政府は政体書を発して太政官制を定め、地方には政府直轄地に府や県を置き、各藩を府県と並ぶ地方機関として位置づけた。福井県域には従来どおり福井・小浜をはじめ一〇藩の領地が広がり、一一万石余の旧幕府領と旗本領は福井藩に預けられた。政府は、明治四年(一八七一)の廃藩置県までの三年余のあいだに、各藩に対してさまざまな変革を促し、府藩県の同一化をはかるが、それは藩体制の崩壊の過程でもあった。
 新政府は、まず、元年十月、「藩治職制」を布告して、各藩の職制の統一をはかり、従来の家老などを廃して執政・参政などを置き、あわせて藩職制の簡素化を促した。
 福井藩では、すでに慶応二年、御用部屋には家老のほか中老(側用人)も常勤し、その隣室に評議席を設け、財政方(御奉行)、民政方(町奉行・郡奉行)、監察方(目付)の筆頭が詰め、藩首脳がいつでも政策決定を行える体制がとられた。また翌年九月には議事掛、四年四月には評定局が設置されるなど、改革が進められていたが、家老を中心とする伝統的な支配体制が続いていた。このため、明治二年二月、藩治職制にもとづく改革が行われた。旧来の家老以下の職が廃され、新たに執政・副執政・公議人・参政などが置かれ、藩庁は掌政局・民政局・司計局・軍政局・学校・監察局・内務局の七局に分掌された。
 同様に、小浜藩では同年一月、従来の役名を廃し、新たに司政(旧老役)、参政(旧用人)、市令(旧町奉行)、監察(旧大目付)、郡令(旧郡奉行)などとした。また、鯖江藩でも同年二月、従来の役名を改唱し、執政(旧御家老)、参政(旧御年寄)、郡令(旧郡奉行)、民事主務(旧郡方)、監税(旧御代官)などとしている。さらに、大野藩でも同年四月従来の役名が廃止され、執政、軍事総管、参政、幹事などが置かれた(資10 一―一九、二〇)。



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