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 第五章 教育と地方文化
   第一節 藩校と庶民教育
    三 寺子屋と私塾
      幕末の寺子屋の実態
 『日本庶民教育史』の福井県の部分は、天保中期から明治の初めに寺子屋教育を受けた五四人の古老からの聞取り調査をもとに、記述がなされている。これによれば師匠の身分は武士二三人、僧一三人、医師四人、神官一人、農・町民一二人、女子一人である。彼等の話によれば、規模は小さいが寺子屋はどの村にもあったようである。就学状況は地域による違いが著しいが、概して男子に比して女子、農村に比して漁村部の就学率が低い。水呑層はほとんど通学することはなかったが、最低限の知識として稲の名前を覚える必要があったため、家庭内で糠や灰を使って平仮名や数字を習った。一般的に男子は九歳で入学し五年、女子は七歳で入学し三年在学する者が多かった。始業は八時で終業は四時という例が最も多い。
 教科は読書・習字・算術三科目が二七例、読書・習字の二科目が一九例、習字のみ六例、習字・算術の二科目および読書のみがそれぞれ一例である。形態は男女共学が三三例、男子のみ一九例、女子のみ二例で、うち身体障害者の入学を許したものが五例ある。どのような教科書が使用されていたかについては表144に示したように、「往来物」や「四書五経」の類が多い。その他、古典・歴史書もみられ相当に高度なものも学んでいる。

表144 使用教科書一覧

表144 使用教科書一覧
 寺子屋では読書よりも習字が重んじられ、練習の時は一字ずつ大きな声で読みながら書いた。読み終えると同時に書きあげるように指導された。紙が貴重な時代であったので最初は机の上に糠を蒔き指でなぞり、上達すると紙を用いたが何度も繰返し使用した。女子に必要とされた裁縫と作法は習字などが終了したあと居残りの形で習った。現在の学級委員長に相当するのは「学頭」「生徒頭」と称し、時には師匠に代わって生徒の指導に当たった。最後に学費について、入学金にあたる束脩としては銭や菓子・日用品・米・餅などを、学費もほぼこれらと同じで銀五匁から多い者は二〇匁も納めた。



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