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 第四章 飢饉と一揆
   第三節 化政・天保期の一揆
     四 小浜藩領の村方騒動と小浜の百姓一揆
      一揆の広がり
 小浜町での打毀しの前後には、遠敷村で源介が、東市場村では孫四郎が、名田庄田村谷では小堂庄兵衛が打毀されている。また、大飯郡の佐分利でも一揆の動きがみられた(『小浜市史』通史編上巻)。同郡内浦一二か村の百姓も十六日に一揆を起こし、難波江浜に集結し、高浜へ押し寄せんばかりの事態となった。高浜陣屋からの加勢依頼を受け、藩は物頭を大将として一〇〇人余りを高浜へ向かわせた。一方、高浜陣屋からは手代衆が三松村へ向かった。彼等の説得が功を奏し、夜になって百姓たちは引き取り鎮まった。小浜からの加勢は十七日朝に本郷に到着、その後和田村まで来て一泊して小浜へ引き取った(常田幸平家文書)。
 この一揆では、米の安売り以外には要求らしい要求がみられず、一方、盗賊まがいの行動もみられた。この点から、この一揆は統制のとれたものとはいえず、典型的な米騒動であったとみなすことができよう。



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