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 第一章 藩政の推移
   第一節 所領構成の変化
     二 旗本領
      越前の旗本領
 越前国内での旗本領の成立は、寛永三年(一六二六)初代丸岡藩主本多成重の二男重看が、父の所領の内三〇〇〇石を吉田・坂井両郡内七か村に分知されたことに始まる。その後、酒井・荻原・小林・金森の各家の旗本領が相次いで成立した。
 旗本は将軍直属の万石以下の家臣(直参)であり、将軍への御目見が許されたことで御家人と区別された。その系譜から、(1)三河以来の旧臣や近国衆に属する者、(2)大名の絶家や分知で一族や家臣から登用された者、(3)名家の子孫や技芸・学才によって登用された者などに分けられる。小林家と荻原家は、(1)の類型に入る旗本であり、元は関東に知行所をもつ一〇〇〇石以下の旗本であったが、正徳四年(一七一四)幕府の命により知行高が減らされ越前に所領替えになった。本多・酒井両家は大名の所領を割き与えられて成立した旗本であり、金森家は大名の絶家によって取り立てられた旗本であって、ともに(2)の類型に入る。表4には越前の旗本領の概要を示した。

表4 越前における旗本領

表4 越前における旗本領




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