蓮如の説く「仏法」とは、王法(政治支配秩序の理念)を支え王法から支えられている仏法ではなく、唯一阿弥陀如来によってのみ保証されるという、いわば狭義の仏法である。従来の正統的仏法観は、鎮護国家や郷土の安穏・五穀豊饒を祈念する王法的仏法観であった。蓮如はこの伝統的な仏法観と訣別し、信心為本を唯一の「仏法」であるとした。そして従来の王法的仏法を真宗的な狭義の仏法の範疇に含めることを拒否し、それを別な次元の王法・世法に属するものと位置づけ、あくまで王法・世法に含まれるものとしての諸神・諸仏の尊重を説いた。この蓮如の主張の正当性は、権力や顕密的神仏から保証されてそうなのではなく、いわば自己完結的に自らの阿弥陀如来の教説によって裏打ちされてそうなのである。この主張は、いわば数世紀にわたって当然のこととみなされてきた一般的な宗教観を否定することに等しいといわざるをえない。
吉崎へ僧俗が急激に集まり一大社会勢力となるにつれ、現地の大名勢力や既存の諸宗派との摩擦が生じてきた。蓮如は文明五年九月ごろから、大野郡平泉寺や坂井郡豊原寺などの諸宗への誹謗禁止、守護・地頭への軽視の禁止、「仏法」と「王法」の分離と王法の尊重という緊急声明を次つぎと「御文」のうえで表明していく(『蓮如上人遺文』三四・三八・五四・五九など)。しかし阿弥陀如来以外の「諸神・諸仏・諸菩薩を尊重せよ」という条項は、依然として「仏法」の項目からは除かれたままである(『蓮如上人遺文』七九)。これでは、諸神・諸仏・諸菩薩を護持することで自らの正当性を謳い続けてきた既存の諸宗派・諸権力の激しい反発はいっこうに収まらないだろう。なお御文の「掟章」などのなかでたびたび表記される「有限年貢所当等きんとうに沙汰せしむ」べしという発言の意味は、限定的な「先例」は遵守すべきであるが、無限定な「新例」は不当・非理であるとの認識にもとづいた発言と一般に考えられている。 |