Fukui Prefectural Archives
R4 Planned Exhibition
2022年(令和4年)は、明治新政府により学制が発布されてから150年を迎えます。これを記念し、当館においては、学校をテーマとした企画展を開催いたします。
本展示では当時県内で発行・使用された教科書や小学校規則、賞状、新聞、写真等の資料を通して、意外と知られていない明治時代の学びと学校についてわかりやすく紹介します。
2022年6月24日(金)~2022年8月24日(水) ※終了しました。
福井県文書館閲覧室
1873年(明治6)「単語篇(敦賀県学校用限三千部)」
福井県文書館文書 A0200-00006
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単語を教授するために文部省より刊行された教科書です。「いろは」からはじまり、日常生活に関する多数の単語が並べられています。
これは敦賀県学校用に3千部出版されたものの1冊です。
1873年(明治6)「単語篇 全(木版)」
矢尾真雄家文書(当館蔵) C0065-01469
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展示箇所は「器材」の項目です。学習者が書いたと思われるフリガナが見えます。1行目の蒸露鑵 (ランビキ)や硝子壜(フラスコ)、5行目の烟火(エンカ、花火の意)など今では用いられない漢字表記もあったようです。
1874年(明治7)「明治七年八月改正小学読本 巻一」
桜井市兵衛家文書(当館蔵) N0055-01004
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師範学校が編さんした国語の教科書で、アメリカの教科書『ウィルソン・リーダー』を翻訳した内容となっています。展示箇所では野球のような遊びを紹介しており、現在の野球のルールとはかなり異なった説明がなされています。
1884年(明治17)「小学中等科用算術書 巻一」
坪田仁兵衛家文書(当館寄託) C0005-01347
小学校中等科1年(現在の小学4年)で使用された教科書です。縦書きの本ですが、算用数字は横で書くように指導しています。編集者は福井県士族の木下兼祐で、福井県の人口が例題として用いられています。
1876年(明治9)「小学人体問答 上」
福井県文書館文書 A0200-00008
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学制発布に際し、欧米から新しく導入したのが教師と児童の対話形式によって授業を進めていく「問答」という教科です。当時の教師はこの教授方法に慣れていなかったため、文部省から指導書が発行されました。本資料はその一つです。
1881年(明治14)「修身小学読本 巻二」
矢尾真雄家文書(当館蔵) C0065-01474
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明治10年代になると、初期の極端な欧化政策の反動から、仁義忠孝を重視する復古的傾向が強くなりました。小学校教育においても明治12年に「修身」が科目の首位におかれ、教科書も多く発行されました。
1880年(明治13)「越前国村尽」
福井県文書館文書 A0200-00011
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江戸時代に手習いの教材として使用された「往来物」の系統をひくものです。
敦賀郡から始まり、南条郡、今立郡、丹生郡、足羽郡、吉田郡、坂井郡、大野郡の村名や町名が書かれています。
1876年(明治9)「越前国地誌略 全」
矢尾真雄家文書(当館蔵) C0065-01471
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県の学務課長であった本多鼎介によって編さんされた地理の教科書です。「総論」「山脈」「川脈」「海岸」のほか越前の各郡ごとの歴史を含めた構成になっており、継体天皇や朝倉氏など著名な人物も取り上げられています。
「第十六号ノ内第壱 小学校沿革誌」 三国南小学校所蔵
三国小学校(現坂井市立三国南小学校)の沿革誌です。学制発布(明治5年)以後の記述がほとんどですが、前身となった学問所である斯文館の時代(文久2年)の内容から書き起こしています。
「第十六号ノ内第壱 小学校沿革誌」 三国南小学校所蔵
学制発布後に「腰掛机」や「塗板」(黒板の前身)が初めて用いられたことや、当時使用していた教科書類が記録されています。ちなみに廃刀令(明治9年)が出された後も、当時の学校教師は佩刀(帯刀)を許されていたようです。
1873年(明治6)「(高屋小学訓導辞令)」
加藤竹雄家文書(当館蔵) A0052-01508
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敦賀県より発布された小学校訓導(教員)の辞令です。師範学校制度が確立するまで、小学校教員は「其の才により」任命されていました。資料中の「加藤利右衛門」は当時二日市村(現福井市二日市町)の戸長を務めていた人物です。
1875年(明治8)「学校書類(南居小学校備品・名簿他)」
片岡五郎兵衛家文書(当館寄託) A0027-00391
南居小学校(現福井市南居町)の明治8年の概況が記されています。南居村内の学齢期(6~14歳)の人数118名に対し、就学人数は37名、うち女子はわずか1名でした。学齢期外の児童も2名在籍していることがわかります。
1875年(明治8)「種痘済み証明」
片岡五郎兵衛家文書(当館寄託) A0027-10103
明治8年の種痘(天然痘の予防接種)の証明書です。「学制」においては、既に天然痘にかかった者、あるいは種痘済みの者でなければ小学校の入学を認めていませんでした。
1878年(明治11)「記(授業料受取、学校印有)」
松田三左衛門家文書(当館蔵) A0169-02709
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明治11年の授業料領収書です。明治10年の「石川県小学校則」では授業料は月額10銭と定められていましたが、第二子以降は減額されました。また家庭の経済状況によっては授業料が免除されることもありました。
1874年(明治7)「敦賀県教育規則」
越国文庫(福井市立図書館所蔵) A0205-119009
明治7年の「敦賀県教育規則」に掲載された下等小学校の時間割です。「第八級・第七級」は現在の小学1年生、「第四級・第三級」は小学3年生に該当します。
今の小学校の時間割と似ている点、異なっている点はどこでしょうか?
「第十六号ノ内第壱 小学校沿革誌」(複製) 三国南小学校所蔵
「学制」では、各級を半年ごとの試験によって昇っていく「等級制」がとられていました。定期試験の他にも各校の優等生どうしが問答しあう「講習会」が行われ、優秀な児童には褒賞が与えられました。
1879年(明治12)「吐華文粋 下」
坪田仁兵衛家文書(当館寄託) C0005-01294
「吐華文粋」は明治天皇の福井行幸の際に献呈された小学生の作文を集めて、明治12年に刊行されたものです。展示箇所は桜小学校(現福井市順化小学校)の児童の「納涼之記」で、九十九橋周辺で散歩をしたときの情景が書かれています。
1882年(明治15)「県立中学校開校式祝辞」
松平文庫(当館保管) A0143-00693
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県立福井中学校の開校式で読まれた旧・福井藩主松平茂昭の祝辞の原稿です。茂昭は廃藩後も福井の教育の発展に尽力し、祝辞では「此県ヨリ国家ノ為メ大ニ有為ノ人材ヲ出スノ美果ヲ得ン事ヲ欲スルナリ」と期待を込めています。
松平文庫(当館保管)
1874年(明治7)「下等小学8級卒業証書」
桜井市兵衛家文書(当館蔵) N0055-00557
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「学制」においては半年ごとの進級試験に合格すると、卒業証書(進級証書)が授与されました。「下等小学第八級」とは現在の小学1年生の前期(最初の半年間)を指します。温知小学校は現在の梅の里小学校(若狭町)の前身です。
1880年(明治13)「証書(第2号小学科5級卒業)」
加藤竹雄家文書(当館蔵) A0052-01512
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下等小学五級は現在の小学2年生の後期にあたります。龍翔小学校は現在の三国南小学校(坂井市)の前身です。「石川県」とありますが、明治9~14年に嶺北7郡は石川県に、嶺南4郡は滋賀県に含まれていました。
1875年(明治8)「下等小学校第二級卒業証書」
八木家文書(当館寄託) A0210-00039
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吾妻小学校は現在の宝永小学校(福井市)の前身です。「敦賀県士族八木八郎」とありますが、実は福井藩初の海外派遣留学生だった日下部太郎(旧名八木八十八)の弟にあたります。
1874年(明治7)「(下等小学卒業証書、第1級~第8級)」
奥田与兵衛家文書(当館蔵) A0179-00360
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奥田磯吉は初代東郷村村長や県会副議長を務めた奥田与兵衛(1856~1928)の弟です。磯吉は明治7年の3月、19歳の時に東郷小学校に入学し、わずか4か月間で卒業したようです。
1905年(明治38)「児童成績原簿」 三国南小学校所蔵
三国高等小学校の成績原簿です。見開き部分には女子児童の成績が記録されており、各教科を甲・乙・丙の3段階で評価しています。この児童は大変優秀だったようで、備考欄に「学業優秀賞及ビ精勤二等賞ヲ受ク」と記入されています。
※本資料には、児童の成績や住所、職業等の個人情報が掲載されていますが、100年以上の時間が経過していること、かつ当該個人の権益利益を害するものとはいえないことから、個人名を伏せずに公開しています。
1898年(明治31)「第3年生、学業優等賞与中判紙20枚」
矢尾真雄家文書(当館蔵) C0065-00479
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深出尋常小学校は現在の春江西小学校(坂井市)の前身です。「学制」発布以降、学事奨励のため成績優秀な児童生徒には、学校から賞状とともに副賞が授与されました。この児童には中判紙20枚が与えられています。
1901年(明治34)「学業勉励行状善良ニ付賞状」
勝見宗左衛門家文書(当館蔵) B0037-00663
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こちらは陵東尋常小学校(永平寺町立御陵小学校の前身)の児童に与えられた賞状で、福井県から発行されています。副賞の紙製盤とは「紙製の石盤」のことで、明治~大正期に使われた筆記具です。
1884年(明治17)「小学読本 初等科 巻一」
山内秋郎家文書(当館蔵) X0142-00965
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明治時代に使用された小学1年生向けの国語の教科書です。子どもたちにとって身近な題材が取りあげられています。現在とは異なった字体のひらがなも使われています。
1878年(明治11)「下等小学第五級卒業証書」
橋本伝右衛門家文書(当館蔵) A0163-00053
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「下等小学第五級」とは、現在の小学2年生後期にあたります。当時は進級するためには半年ごとに行われる定期試験に合格する必要がありました。なお「石川県」となっているのは、明治9~14年まで嶺北地方が石川県に含まれていたためです。
1894年(明治27)「授業料領収証」 三国南小学校所蔵
1900年(明治33)に義務教育が無償化されるまでは、各学校で授業料を徴収していました。本資料の三国小学校の場合は、「月額20銭」を出席日数に関わらず定額で納入することになっていました。
「[絵葉書]三国小学校 A SCHOOL MIKUNI.」
福井県立図書館所蔵 写真番号30047
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三国小学校(旧龍翔小学校)は明治12年に建設された小学校です。木造五層八角形のユニークなデザインは、当時の全国の小学校の中でも異彩を放っていました。大正3年に取り壊されるまで、三国湊の象徴として親しまれてきました。
1902年(明治35)「東郷小学校新築落成式」
義江市郎右衛門家文書(当館蔵) A0181-00001
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明治35年4月、東郷小学校(福井市東郷町)の新築落成式の様子です。この写真は「教育勅語」奉読時のものと思われます 。列の後方には、カメラが気になったのか、こちら側を向いている児童も確認できます。
1907年(明治40)「三国南尋常小学校第一回卒業生」 三国南小学校所蔵
明治39年、三国小学校は尋常科を中元地区に分離独立させ、三国南尋常小学校と改称しました。これはその最初の卒業写真です。卒業生73名(男子43名、女子30名)と教員8名の表情がはっきりとわかります。
1910年(明治43)「少年歴史地理双六」 坪田仁兵衛家文書(当館寄託)C0005-01221
『少年世界』新年号付録。ふり出しの東京から時計回りに進んでいき、中央の宮城(皇居)が上がりです。各地のマスには、歴史上の人物やゆかりの寺社、その地で起こった出来事などが描かれています。福井のマスもあるので探してみてください!
1913年(大正2)「少女思ひ出すごろく」 坪田仁兵衛家文書(当館寄託)C0005-01225
『少女世界』新年号付録。ふり出しの「お人形」から上がりの「大正の春」まで、上流階級の女性の幼児期からの思い出を描いています。遊び方はサイコロの出た目によって指定されたマスにとんでいきます。運が良ければ3回で上がれるかも!?
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