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図説福井県史 近代19 昭和恐慌と農村(2)
19 昭和恐慌と農村(2)
      「農村叙景滑稽いろは歌」
      ▲「農村叙景滑稽いろは歌」
      「いろは」の47文字を順に冠して、恐慌期の農村をとりまく社会情勢をうたった 戯れ歌。作者
      「昭和雪坊主」については不明であるが、かなりの有識者と思われる。当時の農村・農家が
      抱える課題や矛盾を見事にうたいあげている。    『福井県農会報』 福井県立図書館蔵
『福井県農会報』
 こうしたなか、農村救済を目的にした諸政策が打ち出されました。その1つに、農村救済土木事業があります。大規模な公共土木工事を行い、貧窮する農民に労賃収入の機会を与えて農村経済の活性化をはかろうという施策でした。しかし、この時期、福井県の嶺北地方では人絹織物業が急速に発展し、農村労働力の多くは機業工場に吸収されて、農民がすすんで土木事業に就労する状況にはありませんでした。農産物価格の下落は問題であっても、農家が就労先を求めているのではないとの声が上がりました。実際の土木工事には安価な賃金で朝鮮人労働者を雇い、目上の賃金との差額を地元負担金に振りあてるというような裏工作も行われたようです。

 また、救農事業のように政府の財政援助に頼るばかりでなく、農民自らの主体的な活動を行うことが提唱されました。「自力更生」「経済更生」をスローガンにかかげた、行政主導の精神運動です。具体的には、実行の見込みのある模範的な計画を立てた町村を選んで「経済更生町村」に指定し、補助金を与えて指導を加えるという手法がとられました。福井県では32〜39年度に計114、全体の約65%の町村が選ばれました。さらにこれと並行して、農家の負債整理に関する制度が整備され、区や村をあげて共同で返済を行うための組合の組織がすすめられました。これも34〜40年の間に県内で148の負債整理組合が設立認可されましたが、経済更生運動と同様に、当初計画したような成果を得ることはできなかったようです。
  小山村の「農民ダンス」

  小山村の「農民ダンス」「分列式」の光景
  ▲小山村の「農民ダンス」「分列式」の光景
  農民ダンス(右上)は、田打ち・畑打ちから収穫・感謝祭にいたる1年間の農作業を、鍬を使った
  踊りで表現したもの。分列式(上)は、尋常5年以上の小学校児童(男女)をもって行う団体教練の
  一行事。「農民軍」と称し、農民魂打込み教育の一環として、鍬を銃器に見立てた執鍬教練が行
  われていた。                            『小山村農民魂』 福井県立博物館蔵
 
◆小山村の「農民魂」
 恐慌期、大野郡小山村は村長の強いリーダーシップのもと、農民の理想郷「極楽村」の建設を目標にかかげて、たいへんユニークな施策を実践した。「読み書きは出来ても、働くすべを教えてくれない学校は何にもならぬ」をモットーに、「愛汗喜働」の精神を養う「農民魂打込み」教育に力を入れた。軍人にとっての銃器と同じく、農民にとっての農器「鍬」の重要性を唱え、鍬を用いた農民教練や農民ダンスを考案した。さらに、恐慌の危機から脱出するために農民団結の必要性を訴え、各人各戸が信仰する仏教宗派をこえた絶対的な価値としての「皇室尊厳」をアピールした。
 そして、こうした運動が、国家を底辺で支える「皇国農民」の規範を作り上げ、結果的には戦争遂行の基盤となる農村体制を構築することになった。

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