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 第六章 「地方の時代」の諸問題
  第二節 諸産業の展開
    四 石油危機下の工業と減量経営
      機械工業
 はじめに、金属加工および一般機械、輸送機械をとりあげる。金属加工および一般機械は、繊維工業、電気機械工業とともに第一次石油危機の影響の著しい産業部門であるとともにこれに先立つ一九七一年(昭和四六)のいわゆる「ニクソンショック」の打撃もあり、後出(表172)の企業整備状況をみてわかるように、他の二部門に比べて相対的に長い不況を経験した。七二年二月の小松製作所下請の中心であった堀田製作所、七六年一月の県下旋盤最大手の津田製作所など、主要企業の倒産をはじめとして、各社は大幅な人員整理を余儀なくされ、また県外有力メーカーの下請受注の開拓に企業の存亡をかけることになった。
 不況の脱出の糸口は、各種金属加工部品に対する需要と、MC(マシニング・センター)を中心とする工作機械に対する国内・国外の需要であった。前者は、金属プレス、歯車、リペットなど、自動車、家電、各種機械メーカーの発注する部品の加工・製造を中心としたものであり、七六年以降の自動車・家電製品の輸出の急伸にともない受注の好転をみるとともに、国内の活発な省力化・合理化投資に支えられて生産活動は七九年ころから順調な軌道にのった。また後者は、とくにアメリカにおける日本製品に対する需要の伸びが著しく、国内の各工作機械メーカーはこぞって対米輸出に乗りだしたが、県内では、松浦機械製作所が七四年三月に「二〇〇〇万円を切るMC」として評判を呼んだ「立型―750V」を発表、その後七五年一月にその改良機の対米輸出が開始された(『おかげさまで創業五〇年』)。その後これに追随して県内のMC、汎用工作機械の生産も伸びを示した。
 国内自動車メーカーの成長は、輸送機械に分類される自動車車体・部分品、同付属品の製造・修理部門の発展にも波及し、電装品・ホイールなどの下請メーカーの県内立地も進んだ。またカーシート需要の伸びがもたらした県内産業への影響も見逃せない。編機メーカーである日本マイヤー(七七年六月、武田マイヤーより改称)の編機が全国のカーシートの七割を製造したといわれ(『福井経済』80・8)、また県内の製編メーカーや染色加工のセーレン(七三年二月、福井精練加工より改称)なども著しい業績の好転をみた。
 つぎに、電気機械は、コンデンサー、IC、抵抗器などの電子部品、モーターを中心とする電気機械、テレビ、オーディオなどの家電関連機械器具が県下の主流をなしている。一九六〇年代後半より内陸部の各地域に県外企業による立地が進められた電気機械工業は、第一次石油危機直後の七四年後半にカラーテレビ、ラジオ、クーラーなどの需要の急減により大打撃をうけ、下請企業の工場閉鎖や大量の人員整理、一時帰休、週休三日制の採用など、大きな縮小を余儀なくされた。しかし、翌七五年夏ころからは内需の回復とともにカラーテレビ、トランシーバーなどがアメリカを中心に輸出を伸ばしたことを背景に、これら電子・通信機器用部品の生産が急増し、一部に休日返上のフル操業を行う工場も現われた(『福井経済』75・8)。その後、七七年の円高不況、七九、八〇年のアメリカの景気抑制政策の実施により、比較的大規模な人員整理を経験したものの、おおむね順調に業績を伸ばしていった。また七九年四月には、日本電気と新日本電気の共同出資により福井日本電気が坂井郡春江町で操業を開始した。同社は新日電大津から送られるIC、LSIの半製品の組立工程を担当する県内初の半導体関連工場であり、その後この分野の生産が県内でも急速に拡大していった。
 県外大企業の子会社・工場、およびこれらの下請・協力工場の形態をとる地元企業の多くは、従業員一〇〇人前後の中規模工場である。表171はグループ別にみた県内の中規模以上の電気機械メーカーであるが、ここに掲載された二六社の従業員数は電気機械事業所全体の七割以上を占めている。そして、その他の小規模工場も何らかのかたちでこれらのメーカーの下請生産に従事しているところが多く、福井県の電気機械工業の圧倒的部分が、県外企業の部品の製造・組立加工という労働集約的工程に特化している。したがって、雇用も女子を中心とする単純労働力が主で、景気や市場の変動の影響をうけても比較的容易に雇用調整が行われる部門となっている(『福井経済』86・10)。

表171 主要電気機械メーカー26社

表171 主要電気機械メーカー26社



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