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 第六章 「地方の時代」の諸問題
  第二節 諸産業の展開
    三 合繊織物業の展開
      ポリエステル不況の発生
 四年近くにわたり好調に推移した景気は、一九七〇年(昭和四五)に入ると下降に転じた。前章でみた、大機業のウォータージェットルームの増設および零細機業の進出、そして当時四〇〇〇台から五〇〇〇台といわれたヤミ織機の出現は、織物生産能力の著しい上昇をもたらした。先発原糸メーカーは前回のナイロン不況の経験から、七〇年秋に予定されていた後々発メーカーの新増設完了に先立って、賃織機屋の確保をめぐる競争から量産織物品種の賃織発注条件の厳格化の方向へ切り替えた。したがって、この不況は、ナイロン・ポリエステルの量産織物を中心として発生したものであり、原糸部門や編物部門、織物でも一部の高級品種では不況のダメージは比較的小さかった。
 また、需要面の変化もこのようなメーカーの方向転換に影響をあたえた。まず輸出市場では、六九年にはじまるアメリカの景気調整の影響により同国への輸出が伸び悩み、またベトナム戦争の小康化により周辺諸国の外貨事情が悪化し、これが東南アジア向け輸出の停滞にはねかえった。さらに、世界的なポリエステル・ブームのなかで、アメリカ、ヨーロッパでも生産が拡大し、これに韓国、台湾などの後発アジア諸国の低賃金を利用した製品が加わることにより、世界市場における競争が激化した。六八年のアメリカ大統領選挙を契機に急速に政治問題化したアメリカの対日化合繊繊維輸入規制問題は、輸出の先行き不安を煽ったが他方、流行の変化も長繊維織物産地に不利に働いた。すなわち、嗜好の高級化にともない、ブラウスなどの外衣分野では加工度の高い短繊維を使用した(短繊維は長繊維と異なり紡績工程を必要とする)厚手のスパン織物、あるいはニットが好まれるようになった。また紳士服の軽装化による裏地需要の減退、夜具地へのトリコットの進出もあり、薄手の長繊維織物を主体とした北陸産地の市場がかなり侵食される事態となったのである(『東洋経済』70・5・9)。
 具体的な不況の発生についてみてみよう。すでに六九年夏ころから量産品のナイロンタフタ・人絹タフタなどで供給過剰気味となり、九月の金融引締めの開始とともに集散地商社を中心に資金繰りの悪化が発生した。各商社は産地への支払手形期間を長期化するとともに、一〇月には一部品種の工賃を切り下げた。翌七〇年に入ると、工賃切下げの強化と切下げ品種の拡大がはかられ、メーカー・商社の賃織発注量も削減された。打撃の大きかった品種は、朱子・フジエットなどの人絹三銘品や人絹・ナイロンのタフタ、ナイロン・ポリエステルのデシン・クレポンといった裏地やブラウス地向けの単純量産品種が中心で、加工糸織物でもウーリーアムンゼンのように量産化が進んでいる品種が対象とされた。とくにポリエステル織物は工賃下げ幅が大きく、デシン・クレポン・アムンゼンの三品種の七〇年三月の工賃水準は、前年七月の五割から六割となった(『東洋経済』70・5・9)。さらに、原糸生産への後々発メーカーの参入により原糸価格の低落傾向が顕著となるにおよんで、メーカー・商社の量産品種の工賃切下げ、発注削減がさらに強化された。機業の側では受注の確保が困難になり、一部の高級加工糸織物、変り織物の生産に携わる有力業者をのぞいて、休機・休業を余儀なくされる業者が続出した。このため、構造改善事業開始後四年目に入り初の転廃業による織機買上げ(二一件二九八台)が実施されることになったのである(第五章第三節四表143)。
 しかしながら、結果的にみるとこの不況は相対的に軽微に終わった。翌七一年はじめにはナイロン織物が底入れとなり、ポリエステル織物も夏ごろには不況からの脱出が語られるようになる。国内景気の停滞自体が一過性のものであったと同時に、六五年の大型不況の経験から、不況対策の積極的な実施が合理的な経済政策として認識されるようになったのである。
 国際収支黒字の定着のなかで実施された金融引締めは、IMF協定による固定相場制維持のルール上、早晩緩和に転じざるをえず、実際七〇年一〇月には公定歩合が六・二五%から六%に引き下げられた。七一年七月には公定歩合はそれまでの戦後最低水準を下回る五・二五%となり、さらに七二年六月には四・二五%に引き下げられ、七三年四月の引締めへの転換まで低金利政策が維持された。金融緩和を背景とした内需の回復は、織物の需要を下支えする一方、さまざまな非繊維業種の台頭をもたらし、これにより促進された機業から他業種への転換は、織物の生産過剰圧力を一時的に緩和する効果を生んだ。
 また、金融緩和とともに、大型の緊急救済融資が実施された。まず七〇年一〇月には県が繊維不況対策緊急融資として六億円の融資を実施し、一二月には二億円の増枠をみた。また政府は自民党繊維族議員の要望を容れて、七一年三月、年度末金融特別対策として政府関係中小企業金融機関の繊維産業向け貸出枠を拡大し、県内では一一億一六〇〇万円の融資が実施された。福井市でも年度末の中小企業対策として繊維不況特別融資枠三億円が設定された。こうした緊急融資は、その後も、ニクソンショックに端を発する通貨不安・円高対策、さらにつぎにみる対米輸出規制にともなう補償措置として、あいついで実施された(『福井繊維情報』70・12・3、71・2・24、28、『福井経済』72・3)。
 金融緩和、財政資金の融資などによる不況対策の実施は、不況からの脱出という観点からは成功をおさめたようにみえた。しかしながらそれは、戦後の高度経済成長に終焉を告げる、石油危機の最終的な起爆剤でもあったのである。



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