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 第六章 「地方の時代」の諸問題
  第二節 諸産業の展開
    二 総合農政下の農業
      増産から品質重視へ
 米の需要減にともなって、それまで増産を最重要視してきた福井県の稲作方針は、品質重視へと大きく転換し、良質米産地としての地位確立をめざすことになった。すなわち、減反開始の一九七〇年(昭和四五)四月、県農業総合指導推進会議(県と農協四連で構成)は、前年までの「反収日本一米づくり運動」にかえて、「日本一うまい米づくり運動」の推進計画を打ち出したが、そこでは、品質改善のため奨励品種のホウネンワセ、キンパなどの作付けを拡大するとともに、栽培技術指導を強めて一等から三等までの上位米の割合を九割以上に引き上げることが決定された(『福井新聞』70・4・19)。
写真108 コシヒカリ記念碑 

写真108 コシヒカリ記念碑 

 こうした方針転換以降、本県稲作の品質改善は確実に進んだ。たとえば、七〇年代後半から八〇年代にかけて、集荷数量に対する一等米の比率は、気象条件による上下はあるものの、全国平均の六、七割台をつねに上回っておおむね八割台を確保し、その大半が自主流通米として出荷されるようになった(福井県『農林漁業の動き』)。また、作付品種も市場の動向に応じて大きく変動した。すなわち、六〇年代をとおしてもっとも多く作付けされてきたホウネンワセが、七三年ころから市場の人気を失いはじめるや、これにかわって、コシニシキ、コシヒカリ、日本晴、フクヒカリ等があいついで作付けを拡大するようになった。なかでも、福井県農事試験場で育成されたコシヒカリは、新潟等各地で作付けされて市場の大きな人気を博するようになると、福井県においても急速に作付けが進み、八〇年代後半には作付面積の五割をこえ、九〇年代には六割台に達することになった。



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