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 第六章 「地方の時代」の諸問題
  第一節 地域開発施策の展開
    四 福祉・同和行政の推進
      高齢化社会の到来と施設整備
 一九七二年(昭和四七)三月に策定された「福井県長期構想」の福祉政策は、これ以降の第三次・第四次長期構想での高い位置づけに比べると、いまだ保健医療、環境衛生、教育文化などの諸施策と並列的に位置づけられたものであった。しかし、ここでは福祉政策の理念をそれまでの「救済ないし保護的対策を基調としたものから、もっと積極的に県民すべての幸福を実現しようとする理念」へ転換することが示されていた。
 とくに青少年福祉と高齢者福祉については、項目を立てて特筆された。青少年対策としては、すでに全国初の「家庭の日」条例施行(六七年)をはじめとして、県青少年センター・教育研究所(六九年)、「こどもの国」・「奥越青少年の森」(七〇年)が着工しており、中川県政の第一期に重点的に取り組まれた分野であった。
写真105 運動公園子どもの国

写真105 運動公園子どもの国

 これに対して高齢者問題は、前述の県内自治体による老人医療費の無料化の動きにみられるように、切実な課題となっていた。とくに福井県では、はやくも六〇年に「高齢化社会」の指標とされる総人口に占める老年人口(六五歳以上の人口)が七%台に達していた(表158)。全国的に老年人口が七%をこえたのは七〇年であり、福井県では六〇年代までの若年層を中心とした人口流出によって、全国より一〇年先行するかたちで高齢化社会が出現していたのである。こうした傾向は、農村部ではさらに顕著であり、六五年で老年人口一〇・四%、八五年で一六・六%となっていた(福井県『ふくい健康長寿プラン』)。

表158 65歳以上の人口比率

表158 65歳以上の人口比率
 「長期構想」では、特別養護老人ホームの増設やホームヘルパーによる介護、地域ボランティアの育成が課題とされ、再就労対策や余暇利用の場の提供、老人福祉センターの整備、老人クラブへの助成があげられた。
 六〇年代の福井県における老人福祉施設は、五〇年代前半までに県や福井市などによって設置・認可された養老院を、老人福祉法のもとで改称した養護老人ホーム六施設(設置主体県、福井市、武生市、敦賀市、小浜市、社会福祉法人)が維持されたのみで、これ以外には六三年度に大野市に特別養護老人ホーム(福井県済生会経営)が、老人福祉センターでは六五年八月三国町に、六八年に福井市に開設されたのみであった。なお、六五年三月には、県が設置した福祉施設の受託経営を目的とした社会福祉法人「福井県福祉事業団」が設立され、県雲雀ケ丘寮、県美山荘、県夕凪荘を受託経営することとなった(『県統計書』、『昭和40年度社会福祉年報』、福井県福祉事業団『二十周年記念誌』)。
 図65ではこうした状況にあった県下の老人福祉施設が、七〇年代から八〇年代以降に急速に整備されていったことがわかる。常時介護が必要で在宅介護が困難な高齢者を対象とした特別養護老人ホームは、七〇年度まで県内に一つ(大野市)しかなかったが七二年度には、四施設(南条町、三国町、小浜市、松岡町)が増加した。これは、六八年の「新総合開発計画」にもとづいて着工した施設があいついで完成したもので、一施設が社会福祉法人による設置経営で、三施設が県社会福祉事業団の受託経営となった。同事業団はその後七〇年代前半に県によって整備された老人センター(勝山市、上中町、武生市、八三年に地元へ移管)も経営した。
図65 特別養護老人ホームの定員数(1970〜90年度)

図65 特別養護老人ホームの定員数(1970〜90年度)

 その後は、特養老人ホームを中心に社会福祉法人を設立・経営主体とした老人ホームは増加し、八〇年には、五市五町に一四施設が、九〇年(平成二)には七市九町に二六施設が設置された。その入所定員も七〇年から九〇年にかけて七〇名から一七八七名にふえた。これによって六五歳以上の人口一〇万人あたりの老人ホーム数は七〇年には全国で二九位であったものが、八五年には一〇位と全国的にみると比較的高位となった。



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