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 第五章 転換期の福井県
   第三節 変貌する諸産業
     四 合成繊維への転換
      構造改善事業の難航
 そこで、構造改善事業の進捗状況と事業の直面した問題についてみておこう。表141〜143は第一次構造改善事業全体の実績であるが、その前半三年間について限定してみると、まず、設備ビルドについて、一九六七年度(昭和四二)および六八年度には織機ビルドが進まず、むしろ仮撚機を中心とする準備機のビルドが活発に行われている。これは、長繊維織物用の織機開発が遅れたことも一因であるが、織機ビルドに課せられた一対一・五の上乗せ廃棄義務が機業の構造改善資金利用に二の足をふませたからであった。すなわち、(1)スクラップ・アンド・ビルドによって織機台数の減少と固定負債の増加を相殺するだけの高付加価値が得られるかどうかの見通しが不明であったため、既存設備により受注へ対応するという行動選択が支配的であった、(2)織機台数が宴会の席次を決めるとまでいわれる福井県の織物業界にあって織機台数を減らすことには感情的な抵抗が大きかった、からであった(『東洋経済』68・8・28)。したがって、一対一のスクラップ・アンド・ビルドでよい準備機の設置の方がスムーズに進められたのである。六九年度からは、通産省による織機重点化の指導が行われたこと、有力機業のウォータージェット設置ブームにより構造改善資金の利用がふえたことから、織機ビルドが増加した。

表140 規模別広幅織物設備 

表140 規模別広幅織物設備 


表141 第1次構造改善事業の全体計画および実績

表141 第1次構造改善事業の全体計画および実績


表142 企業集約化実績(1967〜73年度)

表142 企業集約化実績(1967〜73年度)


表143 織機の新設および廃棄実績(1967〜73年度)

表143 織機の新設および廃棄実績(1967〜73年度)
 つぎに、転廃業者からの織機買上げが過剰設備の解消の手段の一つとなっていたが、事業開始に先立つ六六年度に四二八台の買上げが行われたものの(松山久次関係文書)、事業開始後三年間は転廃買上げ希望が皆無であった。というのは、織機買上げ価格は一台一〇万円とされていたが、織機の産地間の移動禁止措置により織機権利の売買価格が一四万円から一五万円と事業実施前の三倍に高騰し、転廃業者は買上げよりも他業者への権利の売渡しを選んだからであった(『東洋経済』68・8・28)。
 また企業のグルーピングは、すでに県下では六四、六五年に永平寺合繊、磯部織物などの協業化の先駆的試みがあったものの(『日刊繊維情報』64・9・1、65・4・21)、構造改善事業としては思惑どおりには進まなかった。機業主の「一国一城の主」意識の強さが最大の障害であったが、集約化のさいに構成員全員の連帯保証が義務づけられたこと、また量産織物一〇〇台、特殊織物五〇台という適正織機台数水準の高さも抵抗を招く原因となった。実施されたグルーピングも長期資金調達の便宜のために行われたという側面が強かったといわれる(『日刊繊維情報』67・10・15、12・9、68・5・10、8・20)。
 こうした事業の難航の背後には、行政運営上の不手際もあった。第一に、特繊法の施行にともない織布業は中小企業設備近代化資金貸付の対象からはずされる予定であったが、早くも六七年八月の通産省の通達により、二〇台以下で工業組合の推せんのあるものに限り、国と県の出資による五年間無利子の融資をうけることが可能となるという、構造改善事業の趣旨と逆行する措置がとられた。この融資は上乗せ廃棄を必要としないという有利さがあり、これを利用しうる零細機業と、構造改善事業にふみきれない小規模機業とのギャップを増幅することになった(『東洋経済』67・10・21、松山久次『福井県織布構造改善の進展とその問題点』)。
 第二に、さきに述べた産地間の織機移動の禁止措置による織機権利価格の高騰が、織機ブローカーの暗躍を招いた。さまざまな手口で老朽織機の買占めや無籍織機の県外からの導入、その有籍化のための工作がくり広げられた。こうした不正には県織物構造改善工業組合の役員の関与もあり、六八年一一月、寺腰理事長が引責辞任した。県の業務改善命令に対して一二月に提出された同工組業務改善命令特別対策委員会による回答書は、組合役員四人、組合員約二〇〇人などが関与し、六七年五月から一六〇六台の県外からの織機流入があったことが判明したとし、組合の体質改善を約した(『福井新聞』68・12・17)。さらに、組合では事業への支持を取り付けるために、小規模機業の不満を緩和する措置を講じた。適正規模の下限を特殊意匠品につき二五台に下げること、グルーピング構成員の個人ビルドに関しては他の構成員の連帯保証義務を不要とすることなどを通産省に要求し、これらは六九年度第二次分から実施されることになった(松山久次『福井県織布構造改善の進展とその問題点』)。



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