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 第五章 転換期の福井県
   第三節 変貌する諸産業
     四 合成繊維への転換
      労働力不足と賃金上昇
 こうした生産性改善が急速に進められた背景には、中卒女子労働力の著しい不足にともなう労働コストの急速な上昇があった。
 まず、連年の米の豊作による農村の消費水準の拡大とともに中卒女子の高校進学率が上昇したこと、若年労働力一般に低賃金職種である繊維産業への就職を敬遠する動きが生じたことから、機業の労働力調達の困難が強まった。業界では公共職業安定所を通じて九州、東北、北海道を中心とした県外からの集団就職者の開拓をはかり、県外求人充足数は一九五九年(昭和三四)には一〇〇〇人をこえた(表135)が、他の工業地帯からの労働需要と競合し、こうした労働力の調達もしだいに難しくなった。またこれに呼応して機業の側でも福利厚生の充実がはかられた。とくに、住宅公団、国民健保、厚生年金等の融資制度を利用した寄宿舎の新改築が進み、寄宿舎は六一年五月現在で一二三を数え、建物も近代化された(『日刊繊維情報』59・8・22、61・6・7)。六二年ころからは各地にあいついで共同給食センターの設立をみるようにもなった。さらに、酒清織物、河合織物など、通勤従業員のためにバスによる送迎を実施する工場が出現し、のちにはバス送迎が当然視されるようになった(『日刊繊維情報』59・11・15、『福井経済』64・10)。

表135 県外からの新規学卒者就職状況(1956〜66年)

表135 県外からの新規学卒者就職状況(1956〜66年)
 一方、労働力不足と国民の生活水準の底上げを背景に、繊維産業の賃金の大幅引上げをめざして全繊同盟による最低賃金制獲得闘争が大々的に展開された。五九年の三ポイント闘争(一五歳初任給六〇〇〇円、一五歳採用二か月後六五〇〇円、一八歳勤続三年八〇〇〇円)、六一年の新三ポイント闘争(同八〇〇〇円、九〇〇〇円、一万円)は労働者側の勝利に終わり、繊維労働者の賃金水準は急速に改善された。またこうした労働攻勢を背景に、中小機業の劣悪な労働条件の改善を前面に掲げた組織化が進み、中小機業の労働条件もしだいに引き上げられた。
 工賃ブームの終息は、直接には六一年九月の金融引締めによって生じた内需の減退が招いたものであったが、右にみた急速な労働コストの上昇に対して、もはや既存の人絹織物では対応しきれないことは明らかであった。六一年一〇月には福井県人絹織物品種転換センターが発足し、行政・業界あげて合繊への転換を奨励することになった。またすでに設備投資の中心を合繊に切り換えた原糸メーカーも、六二年一月の東レ滋賀工場の生産中止を契機として人絹糸生産を急速に縮小し、人絹の時代は終わりを告げたのである。



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