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 第五章 転換期の福井県
   第二節 県民生活の変容
    四 教育機会の拡大
      幼児教育の普及
 教育機会は中・高等教育への拡大とともに、就学前の幼児教育の方向へも拡大していった。幼稚園就園率(小学校一学年の児童数に対する幼稚園修了者数)は、全国では一九六九年度(昭和四四)に五割を上回り、七三年度に六割をこえ、その後は現在まで六割なかばで推移する。
 福井県内においても、まず一九五〇年代はじめに、ベビーブーム世代への幼児教育要求が高まったことを背景に、これ以降六〇年代なかばまでに公立幼稚園の設置があいついだ。これによって県内の幼稚園は五〇年度の四〇園(公立三〇、私立一〇)から六五年度の一三六園(公立一〇七、私立二九)へと増加し、就園率も六五年度で全国を上回る五五・九%に達した(『県統計書』、『福井県教育委員会二十年史』)。さらに六九年からの文部省の幼稚園教育振興計画にもとづいて整備が進み、六六年度には一四八園(公立一一七、私立三一)となり、就園率も六一%でピークに達し、その後はほぼ横ばいとなった。
 六〇年代なかばからのこうした就園率の停滞は、一方で保育所の建設が急速に進んだことによるといえよう。保育所は、公立・私立ともに六〇年代に入ると市部や三国町、丸岡町などの町部を中心に増加し、六〇年度九二(公立八一、私立一一、定員八九四三名)から、七五年度には二七〇(公立一八六、私立八四、定員二万四四七九名)となり、定員数にして二・七倍となった。



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