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 第五章 転換期の福井県
   第二節 県民生活の変容
    四 教育機会の拡大
      中学区制と群選抜の導入
 入試制度改革にはさまざまな意見対立があり、実際に学区制の変更が実現したのは、一一年後の一九八〇年度(昭和五五)であった。
 県教育委員会は、七二年一〇月、七四年度からの学区制の改定をめざして「公立高校選抜方法改善にかんする中・高連絡会」を発足させたが、合意はえられなかった(『福井新聞』72・10・13、73・4・11)。この間に普通科、とくに福井市内の普通科高校への志願者の集中が際立ってきていた(『福井新聞』73・2・24、75・2・21)。七四年度には、福井工業高校を吸収合併して科学技術高校が開校し、七六年度には足羽高校が新設された。
 この足羽高校新設を契機に、県立高校定員や選抜制度をめぐって県内で議論の盛上りがみられた。既設普通科高校の定員を削減しようとする県教育委員会案に対して、七五年秋には「福井の教育をよくする県民会議」(県教組など一四団体)や福井市PTA連合会などがそれぞれに反対署名運動を実施し、あわせて一三万人の署名を集めた(『福井新聞』50・10・13)。文部省では、都市化と八〇年代なかばからの第二次ベビーブームによる生徒増に対応するために、翌七六年度から高校新増設費の国庫補助の方針を表明しており、県では磯部秀俊県立短期大学学長を会長に、あらたに県高校問題協議会委員を委嘱し、職業教育の位置づけと改善策、公・私立高校の役割分担、高校格差・進路指導が是正される学区制・選抜制の三点を諮問した(『福井新聞』75・11・19)。
 同協議会の答申が予定されていた七七年夏以降、県議会総務教育常任委員会では、高校教育問題が議論され、また県教組・高教組で組織する受験体制検討委員会では、県内を五ブロックに分ける小学区制を提案し、これを実現するための署名運動を開始した(『福井新聞』77・7・28、9・27)。同年一二月に提出された同協議会答申では、福井・坂井、奥越、丹南、嶺南の四学区制と、福井・坂井学区において藤島・高志高校の二校を一群とし、合格者を学力が均等になるように配分する群選抜が採用された。これに沿って八〇年度から新しい学区制・選抜制度が実施された(『福井新聞』77・12・7)。
 八〇年代には、八〇年度に丹南高校、八三年度に金津高校、八七年度に武生東高校が新設された。私立では、七四年に敦賀市に全寮制の昭英高校が開校していた。さらに八四年六月の県高校問題協議会答申が、第四学区には私立高校の新設がのぞましいとしたことをうけて、敦賀市では私立高校設置準備事務局を設け、八六年に敦賀気比高校が開校した(『福井新聞』84・6・5、86・4・8)。



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