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 第五章 転換期の福井県
   第二節 県民生活の変容
    二 三八豪雪と四〇・九風水害
      災害対策
 一九六三年(昭和三八)一月一七日、福井県は雪害対策本部を設置し、前述のなだれ事故による被害者の救出と国鉄による輸送力の確保のため、自衛隊に災害派遣を要請、さらに勝山市、足羽郡美山村、今立郡今立町、大野市、坂井郡川西町に「災害救助法」を発動した。また臨時県議会が一月二七日に開催され、二億円の豪雪対策費を可決したほか、衆議院災害対策特別委員会に県議会の決議文を提出し、県民の窮状を訴えた(『県議会史』5、『朝日新聞』63・1・30)。
 雪による交通途絶は、それまで国鉄の貨物輸送に頼っていた生鮮食品や燃料の入荷を滞らせ、物価の上昇をまねいた。福井市や武生市での在庫不足は深刻であったが、一方で、灯油は三国港に四七〇キロリットルが確保されており、また敦賀港には約三万トンの石炭が滞貨し、置き場所に困るという皮肉な状況が生じていた。繊維業界をはじめ企業の多くは、原材料の入荷途絶と製品の出荷不能のため休業や操短に追い込まれ、手形決済の不円滑から資金繰りに難渋する業者もふえた。芦原温泉では約一万人の予約取消しがあり、商工業関係の被害額は前記の被害総額のじつに四八%に達した(『読売新聞』63・1・30、『北陸中日新聞』63・2・1)。それだけに「動脈」としての交通機関の確保が急がれたのである。金沢鉄道管理局は一月二八日さらに一〇〇〇人の自衛隊員の出動を要請し、二月二五日までの間に約三二〇〇人の隊員が鉄道・道路を中心に除雪作業を行った。また、航空自衛隊のヘリコプターは、福井市西公園に開設されたヘリポートや石川県小松基地から、坂井郡川西町、大野郡西谷村、今立郡池田村など、嶺北二二の孤立地区に対して救援物資を投下した(『福井新聞』63・1・29、『読売新聞』63・2・14)。二月一日には北陸線がいちおうの開通をみ、同月九日には国鉄三国線が、また一三日には越美北線がそれぞれ開通した。私鉄は同月一九日に全線開通を果たした。
 人びとは除雪にあけくれる毎日であり、排雪場所の確保に苦心した。福井市の「雪害対策本部日誌」によれば、同市は一月二四日に足羽川の四か所を雪捨て場に指定したものの、三〇日には市内三七公園と県営グランドを追加し、さらに二月三日には市内各学校の校庭をも再追加せざるをえなかった。大野市にいたっては、屋根から降ろした雪が高さ五メートルに積み上げられて、「ラクダの背中」と呼ばれるほどになり、これを登り降りする足下に電線が垂れ下がっていたという(福井市雪害対策本部『38・1豪雪資料記録』、『毎日新聞』63・2・8)。また、福井市や武生市における、し尿処理対策も大問題で、出動できない衛生車のかわりに、武生市では各家庭に配布したビニール製の肥料袋とドラム缶一〇〇本で応急の対策を立て、福井市でも二月末日まで、水で一〇倍に薄めたし尿を指定マンホールへ投棄することを認めるなど、窮余の対策をとった(『福井新聞』63・2・6)。
写真94 視察する志賀防衛庁長官

写真94 視察する志賀防衛庁長官

 福井行政監察局や福井県経済団体協議会の報告書には、(1)除雪体制の立遅れ、(2)指揮・命令系統の混乱による、市町村・国鉄・警察などの連絡協調体制の不備、(3)機械力不足による除雪能力の不足、(4)自衛隊出動要請の遅れ、などのきびしい批判が記され、県にはより総合的な除雪対策が望まれた(『福井新聞』63・2・21、福井県経済団体協議会「38・1豪雪と今後の対策」)。その後、これらの反省に立ち、消雪パイプの敷設、除雪機械力の増強、主要交通路の集中的な除雪などの対策が講じられ、八一年の「五六豪雪」に生かされた点も数多い(近畿地方建設局福井工事事務所『五六豪雪の記録』)。四月の中旬には平野部・山間部ともに消雪し、五月八日に県対策本部は解散した。なお、三月二二日の閣議により、福井県を含む二三府県が激じん災害に指定された(『福井新聞』63・3・23)。



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