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 第四章 高度産業社会への胎動
   第三節 苦悩する諸産業
    三 戦後繊維産業政策の展開
      滞貨買上げ機関の設立と織機買上げの拡充
 一九五七年(昭和三二)四月のインドネシアの輸入規制、五月からの金融引締めの強化を契機として、人絹業界の不況はさらに深刻化した。五月に大阪で開催された人絹関係五団体の組織した人絹織物振興対策委員会の席上、人絹糸メーカー側は原糸の建値制採用と操短による原糸価格の長期据置きを表明した。八月二日、織物産地側の反対にもかかわらず、通産省は人絹糸メーカーに対して月産一六三〇万ポンドに抑えるべく一七%の操短を勧告した。操短率は漸次上昇し、五八年一月には四九%に強化された。五九年以降も六二年の各社の人絹糸生産からの撤退決定にいたるまで、二〇%から三〇%の水準で操短は継続をみる(『福井繊維情報』57・5・18、8・3、福井県経済部『福井県繊維産業体質改善の方策』)。
 こうした人絹糸カルテルの成立に対して、織物産地では補償を求めて政府、議員に陳情運動を展開した。五七年一二月の北陸三県代表の政府への陳情内容は、(1)輸出向け人絹織物の滞貨処理対策を速やかにはかること、(2)現在の流通組織の過当競争を排除するため輸出入取引法による指定機関を設置すること、(3)政府による長期低利の生産調整資金を確保すること、(4)織機処理にともなう国庫補助を引き上げること、の四点であった(『福井繊維情報』57・12・17)。
 この結果、まず一二月一四日に安定法二九条二項命令が発動され、五八年一月以降生産数量制限の水準が生産実績の三〇%(内地向けは二〇%)に引き上げられた。福井産地は、これまでのように機台数割当に固執するよりも調整強化の早期実施を選んだことになるが、他方一台につき月産六疋の最低保証割当を行うことにより、零細業者への手当てを行った。また合繊用・アセテート用のいわゆる制限外織機について届出制を採用することとし、制限外織物の規制の手がかりをつかんだ。休機資金についてはさしあたり県費の銀行預託をうけ、五八年二月に最高限度一台あたり五〇〇〇円、利率二銭八厘で借入業者を募集したが、業者の側では無利子の補給金の支給を希望しており借入申込みは三月一〇日現在で一件もなく、このプランは失敗に終わった。なお、中小企業政治連盟の全国的な運動により五七年一二月、「中小企業団体法」が成立し、安定法にもとづく調整組合は共同経済事業も行うことのできる商工組合に改組されることになり、五八年七月に県綿スフ織物調整組合、九月に県絹人絹織物調整組合がそれぞれ工業組合に移行となった(『福井繊維情報』57・8・21、24、29、10・5、11・14、12・10、17、58・3・12)。
 一方、輸出向け人絹織物の適正価格による買取機関として五八年三月一日、日本人絹織物輸出振興株式会社が人絹関係団体の共同出資(資本金五〇〇〇万円)により設立された。同社は、量産品種であり輸出向け人絹織物の過半を占める三銘品(フジエット、塩瀬、朱子)について、前年四月から九月までの生産実績にもとづき各機業に買取量を割り当てた。これは機業にとっては販路の特定化された一種の品種別調整を意味していた。表116にみられるように、五八年九月までは受入高が毎月一〇〇〇万平方ヤールをこえたが、売行きは低調で在庫が増加の一途をたどった。一〇月からは、インドネシアへの賠償輸出など販路に光明をみたことに加え、機業の側で採算の好転しない三銘品から他の品種への転換が進んだため、在庫が漸減傾向を示しはじめた。同社は、買上げ価格(原糸代・製織工賃・取扱マージンの総和)よりも安く売却せざるをえず、さらにこれに在庫費用がかさんだため、五九年三月末決算では二億二八〇〇万円の大赤字を計上した。これは、輸出向け織物の困難をいわば人絹業界全体で負担したことを意味するが、三銘品離れが進むにつれて同社の存在意義も薄れ、単なる三銘品の輸出窓口という性格にとどまるものとなった(『福井県繊維産業体質改善の方策』)。

表116 日本人絹織物輸出振興会社の三銘品月別取引高(1958年3〜12月)

表116 日本人絹織物輸出振興会社の三銘品月別取引高(1958年3〜12月)
 さて、織物産地の不況打開を求める声が日増しに高まるなかで、五八年七月、繊維旧法にもとづく過剰織機処理を拡充することが衆議院商工委員会および自民党政調会で決議され、八月一五日、閣議決定により五八、五九両年度にわたり七万台の織機を買上げ処理し、そのために政府補助として一台二万円、計一四億円が予算計上されることになった。産地では業者負担金の増額を懸念する声があったが、自民党繊維対策専門委員会の国庫補助四万円要求もあり、結局政府補助が二万七〇〇〇円に引き上げられ、業者負担金一万円は据置きとなった。これにもとづき県工業組合では五八年二月、織機供出の受付けを行ったが、当初割当台数六九九八台を大幅に上回る申込みとなり、その大半が買上げ対象となった(表117)。織機供出は輸出三銘品の行詰りもあり吉田、丹南地方の申込みが多かったが、五二年の安定法による生産調整開始以来、はじめて福井県の織機台数は減少することとなった(『福井繊維情報』58・7・6、8・20、59・1・7、17、2・22)。

表117 過剰織機の年度別処理台数

表117 過剰織機の年度別処理台数



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