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 第四章 高度産業社会への胎動
   第一節 県政と行財政整備
    三 町村合併の促進
      分村合併
 県試案は坂井郡浜四郷村、鶉村、大安寺村、本郷村、棗村、鷹巣村の六か村合併であった。このうち、大安寺村と浜四郷村の二か村が村内意見の統一をえられないとして、この合併に消極的であった。ほかの四か村は、両村の参加を期待しながらも、一九五五年(昭和三〇)三月三一日に川西村として発足した。大安寺村は、地勢の関係で北部と南部に二分される地形をなしており、北部は農家が多く南部は農地が狭小で福井市に勤務先をもつ住民が多い関係で、北部は川西村への、南部は福井市への編入をそれぞれ主張していた。五五年の地方選挙で福井派の村長が当選したが、議会は福井派七名、川西派五名となり対立した。
 五五年八月に、県町村合併促進審議会は県の諮問に対する答申として、県試案が妥当であるが場合によっては川西村、および福井市への分村編入もやむをえないと述べた。しかし、村当局と福井派は全村の福井市編入を主張し、川西派は分村してでも川西村へ編入したいと主張した。村内は二派に色分けされ、村民の対立感情は日増しに高まり、日用品の購入もそれぞれの派の商店で購入するようになった。ついには呪いのワラ人形までが登場し、村内は不穏な雰囲気に包まれた(『福井新聞』56・3・27、8・29)。
 県は新市町村建設促進法の規定にもとづき分村処理することが適当と考え、町村合併調整委員による調停に付した。町村合併調整委員は、五六年九月五日に住民意志の確認のため地区ごとの住民投票を実施した。福井派は、不利な結果を予測して部落の入り口に監視員を立てて投票に行くことを妨害したり、投票場を多数で取りまき投票に行くものを威圧したりした(『福井新聞』56・9・6)。しかし、ともかくも住民投票の結果、川西村編入を希望する地区を委員が確認できた。その後も県の調整に対し、村当局は断固として全村の福井市編入を主張して譲らなかった。
 県は新市町村建設促進法の規定にもとづき、住民投票によって川西村編入を希望する地区を分村処理することが適当と考え、五七年一月に大安寺村選挙管理委員会に対して、川西村編入希望地区の住民投票を行うように請求した。しかし、同村の選挙管理委員会はこれを執行せず、村長はこの住民投票は違法であるとして、内閣総理大臣に対し、当該請求を取り消す裁決を求める訴願を提起した。知事は、内閣総理大臣と協議を行い、その住民投票を県選挙管理委員会が代執行することにした(資12下 八五)。三月二九日に住民投票が大安寺村の六地区で実施され、開票の結果、この六地区の川西村編入は決定した(『福井新聞』57・3・30)。五七年四月一日に、大安寺村の六地区を川西村に編入し、さらに、それをのぞく地域の大安寺村を福井市に編入させた。県が代執行を実施した事例は全国的にも数少ないことから、この事例がいかに紛糾したものであるかを物語っている。
 その後、川西村は五七年に川西町となり、川西町は六七年五月一七日に福井市に編入され、現在にいたっている。その意味では、この事例は福井市の市域拡大の一つの過程としてみることもできる。



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