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 第三章 占領と戦後改革
   第四節 戦後教育改革
    三 戦後の文化運動と社会教育
      社会教育行政の再編
 こうした社会教育団体の動きに対して、社会教育行政は、敗戦一か月後の文部省「新日本建設ノ教育方針」にみられる「国民道義ノ昂揚」「国民教養ノ向上」を目的とする戦後初期の教化的姿勢から、第一次アメリカ教育使節団報告書の提出をうけて、占領政策の本格的な実施による改編へと大きく転換していく。
 ここでは、基本施策では民間情報教育局の方針をうけながらも、直接には管轄する軍団や地方軍政部に影響されるかたちで実施された。具体的には、地方分権をすすめるための社会教育課・社会教育委員の設置、民主的な手続きによる公民館運営、PTAなど諸団体の民主的指導者の養成が重点的にすすめられた。
 県では、戦時体制下におかれた思想教化機関である「思想指導委員会」を引き継いで一九四六年(昭和二一)には「福井県社会教育協会」が設置されており、戦前から設置されていた県、市町村の社会教育委員も文部省訓令にもとづいて四六年六月に復活していた(県訓令第四一号)。
 この時期に他の改革にさきがけて進行していた新憲法の制定や戦後の選挙制度改革は、それらを担う公民の養成を必要としており、このために旧体制を利用するかたちで、指導・啓蒙組織が整えられたといえるだろう。市町村では、四八年五月に調査した一一〇市町村のうち八六%にあたる九五で、総数一一六〇名(平均一三名)の社会教育委員がおかれていた(旧宮川村役場文書)。
 ただ、実際に一〇月以降に任命された県社会教育委員をみると、入替わりはあるが作家の多田裕計・山本和夫、東京大学講師高橋幸八郎、県連合青年団笠原武・法水斯道・熊谷与三吉・天井定美、県地方労働委員(労働者委員)大谷巌ら二〇代の青年層が含まれており、当時の文化状況を反映した人選となっていた。また四八年五月には社会教育課が教育部教学課から独立し、四七年二月に文部省から着任していた久我元が社会教育課長となった。



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