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 第三章 占領と戦後改革
   第四節 戦後教育改革
    二 教育行政の民主化
      PTAの結成
 第一次アメリカ教育使節団は住民参加による教育の民主化を企図し、PTA(父母と先生の会)の設立を奨励する方針を示唆した。これをうけ、民間情報教育局は一九四六年(昭和二一)五月に文部省社会教育局に対しアメリカにおけるPTAのあり方を示した資料を提供し、全国に送付すべきことを指示し、同年一〇月に文部省は各都道府県社会教育関係者に、PTAの趣旨説明と積極的普及奨励を行った。四七年三月、文部省は都道府県知事あて『父母と先生の会教育民主化の手引』を送付し、単位PTAの結成・会の目的・運営方法などを具体的に示し、第一軍団軍政部では京都をモデル地域として先行実践を開始した。
 文部省は同年五月から七月にかけ各都道府県と共催し、各地で「第一回社会教育研究大会」を開催してその普及につとめた。福井県では六月に福井市で開催され、軍政部も指導にあたった。さらに文部省のさきの『父母と先生の会』を参考に、平易に具体的に書き改めた父母と先生の会のしおりを福井軍政部が発行するにおよび、単位PTA結成の気運が高まった。同年一二月に第一軍団軍政部から「育友会規則及附則」のパンフレットが配布され、管下各府県において同規約をモデルとした準則が制定され、各学校で規約を前提としたPTAの設立が奨励された。四八年一二月には、文部省も父母と先生の会参考規約を都道府県に配布してその結成につとめ、各軍政部もその実施状況の把握と監視にあたった。福井県でも同年春には県下の学校の八%程度で単位PTAの結成をみるにいたった。
 しかし、その実態はかつての父兄会や学校後援会と変わるところはなく、全国的にも同じような実態であった(「月例報告書」)。すなわち(1)役員に顧問・参与など封建色の濃いポストが多い、(2)役員選出の方法に推せん・互選など非民主的方法が多い、(3)PTA総会の回数が少ない、(4)経費支出の多くが、教員補助など学校に対する援助中心となっている、などの点が指摘される(阿部彰『戦後地方教育制度成立過程の研究』)。そこで、軍政部および発足後間もない県教委は、PTA活動の啓蒙・育成に力を注ぎ、文部省による指導者講習会(IFEL)の受講者による伝達講習会を県内各地で実施し、事業・財政や規約についての指導を展開した。その結果、徐々に独自のPTA活動が開始されていった。あわせて各学校ごとの単位PTAを組織した連合体結成の動きも、県教委社会教育課の指導を中心にはじまった(「月例報告書」)。吉田郡をはじめ一四の郡市に連合体が結成されたのをうけ、五〇年一一月に福井県PTA連絡協議会が結成され、五二年六月に福井県PTA連合会が発足した。五七年一一月には第一回の福井県PTA大会が開催され、PTAの問題点や今後のあり方が討議された(『福井県PTA連合会三十年史』)。



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