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 第三章 占領と戦後改革
   第三節 経済の民主化と産業の再建
    四 労使関係の再編と労働運動
      レッド・パージ
 共産党員やその同調者の職場からの追放は、すでに一九四九年(昭和二四)の人員整理でひそかに進行していたが、五〇年に入ると、公然と追放が行われた。六月、マッカーサーは共産党中央委員二四名の公職追放を指令し、同月の朝鮮戦争勃発直後には共産党機関誌『アカハタ』の発行停止を指令した。そして、七月の報道機関を皮切りに、官庁や企業で共産党員やその同調者を追放するレッド・パージが断行された。
 福井県におけるレッド・パージは、北陸配電福井支店、関西配電小浜配電局、京福電鉄福井支社、日の出織物、敦賀セメント、東洋紡績敦賀工場、建設省敦賀工事事務所などで行われた(表86)。

表86 県内のレッド・パージ

表86 県内のレッド・パージ
 北陸配電福井支店の場合、二二名が整理の対象となり、うち一六名が自発的に退職したため、残り六名が「正常な組合活動の阻害」「電気事業運営に非協力」という理由で退職勧告をうけた(『福井新聞』50・8・27)。京福電鉄福井支社の場合、一〇月二一日に会社が整理実施要項を発表し、「従業員の一部には破壊的言動をなし、或は他の従業員を煽動し若しくは徒らに事端を繁くする等、法の権威を軽視し業務秩序を紊し、業務の円滑な運営を阻害するが如き非協力者又は事業の公共性に自覚を欠くもの」に該当するとして、一〇名の退職勧告を行った(資12下 一七一)。これに対して組合は、団交を行うとともに緊急執行委員会で討議を行ったが、結局退職金の上積みを要求することで整理への協力を決定した(『京福労組四十五年史』)。



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