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 第三章 占領と戦後改革
   第三節 経済の民主化と産業の再建
    一 農地改革
      異議申立・訴願・訴訟
 農地買収・売渡計画樹立にあたっては、関係者の同意・通知・協議などはとくに必要とされなかった。したがって、たとえば買収をうける地主は、原則的には市町村農地委員会が計画をたてる段階で不服を申し立てることはできなかった。しかし、買収・売渡計画はこれが策定された後に公告がなされ、その後一〇日間の縦覧に供せられたので、この段階で買収・売渡に不満のある者は市町村農地委員会に対して「異議申立」をすることができた。一方、市町村農地委員会は申立をうけた場合、縦覧期間終了後二〇日以内に決定を下さねばならなかった。そして、異議申立に対する市町村農地委員会の決定に不服がある場合、さらに県農地委員会へ「訴願」を提起することが可能であった。
 福井県では一九四九年度(昭和二四)末までに一三四二件の異議申立が(全国では九万四二五三件)、また一七四件の訴願が(全国では二万五一二三件)それぞれなされた。異議申立・訴願の主要な原因としては、「(イ)関係者特に所有者の中には改革の趣旨を理解しないため市町村農地委員会の処置を行き過ぎであるとして感情的となったもの。(ロ)市町村農地委員会が法令の適用を誤っているもの。(ハ)資料整備不充分のため実情と異なる処理をしたもの。(ニ)不実の申告、申入れによって委員会の処置を誤ったもの。(ホ)委員会関係者の部落意識が強いため他部落、他村民に不利益な原案を作成したり又は利欲のために不当な原案が作成され、そのまま委員会の計画となったもの」(『福井県の農地改革』)などがあったが、そのかなりの部分は異議申立の段階で解決された。
 福井県における異議申立・訴願の具体的なケースとしては敦賀郡粟野村で発生した「古荘制度」の例が有名である。古荘制度とは江戸時代以来のもので、二〇町歩をこえる地主である柴田家が何人もの小作人とともに一集落を形成し、あたかも「一家」のようにして農地経営を行ってきた制度である。一九三二年(昭和七)には柴田家の住居と庭園は「史蹟名勝天然記念物保存法」により、柴田氏庭園として史蹟に指定されていた。この史蹟指定をたてに柴田事次が農地買収の除外を求めて提訴したのである。しかしこれは、史蹟指定をかくれみのにした地主のていのいい土地温存策ではないかとみなされ、結局、異議申立・訴願ともに棄却されたのであった(『敦賀市史』下、『農地改革資料集成』9)。
 異議申立の決定や訴願の裁決を不服とする場合、さらに裁判所へ「訴訟」をおこすことができた。これは、買収・売渡計画の行政処分取消を求める場合も同様であった。訴訟の件数は四八年から四九年にかけてが圧倒的に多く、五〇年末段階で、福井県では二二件(全国では四二二五件)となっている。その後、訴訟件数は少しふえて、五二年二月までに二八件(うち買収関係一八件、売渡関係六件)となったが、第一審の段階で一四件が取下げとなり、判決が出されたものは五件にすぎなかった。五件のうち四件は控訴審まで進んだ(『福井県の農地改革』)。



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