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 第三章 占領と戦後改革
   第二節 政治・行政の民主化
    三 自治体警察の設置と廃止
      自治体警察の廃止
 町の財政の過半を投入してなお十全の成果を上げていないと評価されるとすれば、その事業に対しての人びとの目はきびしいものになる。主として財政上の困難から自治体警察必置の要件の緩和を求める声は当初から高かった。また、一九四八年(昭和二三)から四九年にかけて治安の悪化を思わせる事件が続発し、国民の新しい警察制度に対する関心が高まり、国会もその実態調査に乗りだした。さきにあげた武生の事件に対しても田島好文(民自党)を団長とする衆議院法務委員会調査団が訪れ、武生の警察活動全般に関する調査を行った。この調査団の報告は五〇年四月二〇日付で幣原衆議院議長に提出されたが、その内容は、武生の事件は「封建的暴力分子の強力な推進にもとづくもの」と断定し、「捜査当局である自治警察の腐敗」があると指摘するものだった(『福井新聞』50・4・21)。
 こうした背景から、政府は警察法の改正を企図し、四九年中に磯貝国務相を中心として総司令部に対して国家地方警察の増強と自治体警察の設置を人口五万人以上の都市に限ることを要望した。しかし、総司令部はこれを認めず、九月二日にマッカーサーが「現在の警察制度で秩序維持に当たりうる」と声明したことでこの件はいったん沙汰止みとなった。しかし、五〇年に勃発した朝鮮戦争と続発する事件は国内治安の強化を求める声をふたたび活発にし、今度は総司令部もこれに積極的に対応せざるをえないこととなった。そして、五一年五月、政府は警察法の一部を改正する法案を第一〇国会に提出した。改正の要点は、まず第一に、自治体警察の管内に国家地方警察の捜査権を及ぼすことを可能にすること、第二に、自治体警察職員の定員についての上限を廃し、地方的要求に応じて条例で定めることができるようにしたこと、第三に、人口五〇〇〇人以上の市街的町村は住民投票により自治体警察を維持しないことができるようにしたことなどである。この第三項がこの改正の最大眼目である。
 福井県でも自治体警察返上の動きは以前よりあったが、これによりいっきょに浮上することとなる。無論、自治体警察関係者の側からは一様に反対の動きがあった。福井県自治体警察長連合協議会は五一年一月二四日に、福井県自治体公安委員会連合会は同年一月二六日に、それぞれ警察法改正に反対する決議を行った。しかし、こうした動きは県民全体の支持を得られなかった。
 結局、警察法改正案は六月四日に成立し、同月一二日に公布施行された。福井県でも各地で自治体警察廃止の住民投票が行われることになった。福井県には発足当初一八の自治体警察があったが、さきに述べたように西藤島村署は早く廃止された。また、残る一七自治体のうち、武生、小浜がこの間市制に移行しており、福井、敦賀を含めて四市については自治体警察は必置とされるので、その存廃を検討する自治体は、一三町ということになる。概して投票率が低かったので、県選挙管理委員会は六町が投票を終了していたが、九月二一日に投票棄権防止の通達を出している(資12下 五二)。これらの町ではすべて自治体警察の廃止が決定された(表72)。ちなみに、市をも含む自治体警察が全廃されるのは新警察法(五四年六月八日改正公布、七月一日施行)による。

表72 自治体警察廃止の住民投票 

表72 自治体警察廃止の住民投票 
 地方自治の生みの苦しみの時代に、もっとも不幸な歩みをたどることになったのが、警察の分権化の試みであった。十分な財政的保障のないなか、戦後の地方自治は困難な立上りを経験することになったが、とりわけ警察の分権化の試みは、財政難に加えて分権化した警察を十分に運用できるほど国民の意識が成熟していなかったという問題もあったため、最終的には破綻したのだといえよう。



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