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 第三章 占領と戦後改革
   第二節 政治・行政の民主化
    一 新制度の発足と指導者層の交代
      国会議員
 一九四六年(昭和二一)四月一〇日に執行された戦後初の衆議院議員選挙では、追放された戦時中の翼賛議員が立候補できず、全国的にも当選者のなかで新人議員が八割を占め、指導者層の交代にいちおうの成果をあげた。戦後ただ一度の大選挙区制限連記制で行われたこともあって女性の進出がめだった選挙であった。福井県においては元の中選挙区制においても全県一区であったために選挙区については同じであった。しかし、戦後初の選挙とあって定数五人のところに三九人が立候補し、戦後民主主義にかける県民の意気込みを示すものだった。
 四位で当選した福井県初の女性代議士今井はつの学歴詐称問題(清水谷高女中退を卒業と偽ったもの、憲法公布にともなう恩赦をうける)があったり、得票数五位の堂森芳夫があまりにも多数の候補に票が分散したため法定得票数(有効投票数を定員の五で割って、これをさらに四分の一にしたもの)に足りず落選したりするなど、最初の選挙らしい混乱がみられたりもした。結局、この法定得票数不足による欠員については五月三一日に再選挙を行い堂森芳夫が当選した。また、選挙終了後、一位で当選した薩摩雄次が資格審査に抵触することを恐れて(彼は一九四二年の翼賛選挙に非推せんながら立候補し最高点で当選していた)辞退したので、再選挙で次点であった青木清左衛門が繰上げ当選した。最初の民主国会に送りだした代議士は以下の人びとである。坪川信三(無所属新、進歩党に入党)、奥村又十郎(無所属新、社会党に入党)、今井はつ(自由党新)、堂森芳夫(社会党新)、青木清左衛門(進歩党新)。
 福井県の場合、戦前の代議士で戦後になって復活したのは薩摩雄次のみ(五五年二月実施の第二七回衆議院議員選挙で当選)で、衆議院議員については新旧の交代がほぼ完全に行われたといえる。戦前の代議士で戦後参議院議員となった者には池田七郎兵衛、酒井利雄がいる。
 初の参議院議員選挙は四七年四月二〇日に行われた。参議院議員選挙区は全国区と地方区に分かれ、地方区の定数二が福井県にあたえられた。参議院議員は六年任期であるが、三年ごとに半数を改選する制度をとったので、初の選挙のおりには定数二五〇すべてを選出し、うち上位当選の半数が六年の任期をつとめることとし、下位当選者は三年後に改選されることとした。したがって、これ以降の参議院議員選挙においては福井県では三年ごとに一名を選ぶこととなるが、このときには二名を選出した。
 このときに行われた選挙では保守系無所属の池田七郎兵衛と社会党の松下松治郎が当選した。上位当選の池田が六年任期に、下位の松下が三年任期となった。
 四月二五日には衆議院議員選挙が行われることになっており、また、一連の地方選挙が行われているさなかの選挙であったこともあって、投票率はやや低かった。
 これ以降の福井県選出国会議員については表66、67を参照されたい。

表66 衆議院議員の選挙結果(第22〜39回)

表66 衆議院議員の選挙結果(第22〜39回)


表67 参議院議員の選挙結果(第1〜15回)

表67 参議院議員の選挙結果(第1〜15回)



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