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 第三章 占領と戦後改革
   第二節 政治・行政の民主化
    一 新制度の発足と指導者層の交代
      憲法・地方自治法の制定
 日本の地方自治は、敗戦とそれに続く占領改革により大きな変化をとげた。戦後日本の政治・行政の枠組みを定めたのはいうまでもなく日本国憲法であったが、日本政府は自らの手でこれを作ることができなかった。総司令部の民政局(Government Section:GS)は松本烝治国務大臣らを中心とする日本政府が設置した憲法問題調査会の大日本帝国憲法改正案を「もっとも保守的な民間草案よりも、さらにずっと遅れたものである」として一蹴し、自ら起草した「日本国憲法草案」を日本政府に対し手交した。当時の幣原喜重郎内閣のもくろみは帝国憲法の一部修正ですまそうというものであったが、これは国際世論はもとより国内世論からも受け入れられるものではなかった。結局、この総司令部の民政局が起草した案を枢密院および帝国議会において審議し、若干の修正を加えたものが日本国憲法となったのである。
 日本の民主化を進める総司令部に対して、日本国憲法に盛り込まれるべき要件について指示した文書が「日本国家体制の改革Reform of Japanese Government,State-War-Navy Coordinating Committee,No.228:SWNCC228)」であるが、民主化の重要な要素としての地方自治の強化をあげている。アメリカにおいては「タウンミーティングの民主主義に対する関係は小学校の学問に対する関係に該当する」(トクヴィル)とか、「地方自治は民主主義の学校である」(ブライス)とかの有名な言葉をもち出すまでもなく、地方自治の重要性は自明のものであった。日本国憲法は、とくに章(第八章、第九二〜九五条)をもうけて地方自治の重要性を説くものとなり、さらに地方自治の基本法たる「地方自治法」を制定し、これを憲法と同時に一九四七年(昭和二二)五月三日施行することとなった。



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