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 第三章 占領と戦後改革
   第一節 占領と県民生活
    一 米軍進駐と福井軍政部の活動
      福井軍政部の活動
 日本占領は間接統治により行われることになったため、戦後の諸改革は、連合国最高司令官総司令部(General Headquarters/Supreme Commander for the Allied Powers・GHQ/SCAP)より日本政府へ命令・指示がなされ、地方での実施を要するものについては日本政府の行政ルートを通じて地方レベルに指示が伝達され、これを地方政府が実施するということになっていた。各県におかれた地方軍政部は公式的には地方における実施状況を監視し指導することをその任務としており、占領政策の実施はその任務とはしていなかった。地方軍政部が不都合や懈怠を発見すれば、そのことは軍政機関のルートを通じて総司令部に伝達され、その是正については総司令部から日本政府へ命じられ、再度、日本側の行政ルートを通って地方機関へ伝えられるということが建て前となっていた。とはいっても実際には、このような迂遠な形式とは別に、地方軍政部自体が現場で指導の名のもとにかなりの介入を行った事例も多々みられることになった。
 こういうことになる理由としては、一つには地方政府の側が占領軍という絶対的な権威の裏付けを欲したという事情があり、いま一つには地方軍政部の将校たちが他府県の軍政部の担当官たちとの横並び競争のなかで、管轄府県の優れた遂行状況を報告することにより自らのポイントを上げたいという官僚制一般にみられる事情があるだろう。ともあれ、こうした強力な指導の実態をいくつかみてみよう。
 地方政府が占領政策の実施にあたって占領軍を前面に押し立てようとする分野の最たるものは、供出や徴税のように強権的に金品の提出を求めるものであった。たとえば米の供出にさいしては軍政部の経済課長の名で供出への協力を呼びかけるとともに、他方で地方事務所長にあてて質問書という体裁をとってはいるが、超過供出は「絶対至上命令であること」、これについては「軍政部の調査が行われるだろう」こと、これに懈怠ある場合は「米国の軍事法廷に送られ」るであろうことを示し、強い調子で督励している(『福井新聞』48・11・22、資12下 二〇三)。徴税に関しても、たとえば一九四九年(昭和二四)一月の「月例報告書」によれば「県内の全税務署に各三回の訪問」を行い、各税務署に滞納者を減らすこと、「割当達成率を示す図表を作成」して互いに競争することなどを指示している。
 公衆衛生、福祉関係の分野においては、日本側の担当官の不慣れや考え方の相違が軍政部側の強い指導を惹起しているように思われる。病院の衛生事情を改善するために厨房を集中管理するよう指導していることや、各市町村における生活保護台帳の記載法につき、毎月、数か所の抜打ち検査を行い是正を指示しているところにそうしたことの例をみることができる(「月例報告書」)。
 非軍事化とならんで民主化が占領政策の重要な柱であったことはいうまでもない。民主化の推進に関しても地方軍政部はかなり積極的な動きをみせている。たとえば、四八年に実施した県下全市町村長の会議があげられる。その前年、戦後初の首長選挙が行われ多くの公選による市町村長が誕生したが、さまざまの理由であいついで辞職した。四八年一一月には県下一六七市町村のうち四〇の町村で首長が辞職していた。とりわけ米の供出と新制中学校建設問題が住民の合意をとりつけることが困難で多くの首長を辞職に追い込んだ問題であったが、軍政部ではこうした動向を憂慮して四八年一一月に県下全市町村長を夫人同伴で集めた。これは、女性にも公的な役割を担わせるとの趣旨にもとづいている。これにとどまらず、首長の辞職問題に対しては一貫して重大な関心を寄せ、さまざまな機会をとらえて啓蒙活動を行っている。
 啓蒙活動といえば、首長に対してのものだけではなく、議員や各種行政委員会の委員にはじまり児童生徒にいたるまで広範に行った。また、あいついで行われた各級選挙については、近隣県に駐屯する実戦部隊の要員を出動させることも含めて監視・指導体制をしいている。
 民主化を語るときに忘れてならないのは、占領軍の指向する民主主義は、これに敵対する活動を行っていると考えた団体(共産党や朝鮮人連盟)に対してはきびしい警戒の目をむけるものであったという点である。民主化の権力的な担い手が「民主主義の敵」にむける政策はある意味ですこぶる権力的な政策ともなった。その典型が公安条例の制定である。福井震災という混乱に乗じて政治的な煽動行為を行うことを取り締まるために、四八年七月六日に福井市が、同一六日に県が、それぞれ、公安条例を成立させたが、四八年六月の「月例報告書」には、小幡知事が、軍政部の助言にしたがって全政党に対して状況が正常に復するまでは政治的煽動をやめるよう、強く勧告したとの記述があり、この問題への軍政部の積極的な関与がうかがえる。軍政部は彼らの考える民主主義に敵対すると考えられる勢力に対してはきびしい態度で臨んだのである。



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