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 第三章 占領と戦後改革
   第一節 占領と県民生活
    一 米軍進駐と福井軍政部の活動
      戦後のはじまり
 一九四五年(昭和二〇)八月一五日、長きにわたった悲惨な戦争は日本の完膚なきまでの敗北によりようやく終わった。日本はポツダム宣言を受諾し無条件降伏することで、その歴史はじまって以来の外国軍隊による占領と、その指導による徹底的な国家改造をうけることになった。近代国際法が占領軍に対する現地法律の尊重義務を課していること(ハーグ陸戦法規第四三条)を思えば、第二次世界大戦後に日本が経験した占領改革は、憲法まで作り替えてしまったのだから、まさに空前絶後の事態である。イデオロギーの戦争でもあった第二次世界大戦は、その戦後に敵国のイデオロギーたるナチズムや軍国主義をきびしく裁くものだったのである。
 占領軍は連合国が第二次世界大戦の原因をなしたとして断罪したイデオロギーに対して非常にきびしかった一方で、そうした旧敵国を平和愛好国家としてよみがえらせるために戦争で疲弊した国力を回復し、そうした国ぐにが民主主義の制度を根づかせるよう意を用いた。処罰すると同時に、民主主義の先達として、指導も行ったのである。このいわゆる戦後改革と呼ばれる時期に福井県に進駐した連合国軍はどのような部隊だったのか、彼らは県民に何を行わせようとしたのか、県民はこれをどのように迎え、この時期をどのように過ごしたのか。
 無謀な戦争により徹底的に生産基盤が破壊しつくされ、戦前の価値体系自体も瓦解し、日本は敗戦直後は物質的にも精神的にも忘我的状況にあったといえる。これに対して物資を補給し、生産と消費のシステムを再建、あるいはまったくあらたに構築したのは占領軍という外部の権力であった。福井県における戦後は、武装解除と敗戦直後の治安維持のために乗り込んできたアメリカ軍の実戦部隊による進駐にはじまり、これが民主化改革を指導する軍政部隊にかわり、復興が緒についた時期に襲った福井震災に対して県民が一丸となって立ち向かった時期へと続いていくのである。



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