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 第二章 日中戦争から太平洋戦争へ
   第二節 産業・経済の戦時統制
    四 戦時統制経済下の工業・金融
      一県一行の実現
 一九三六年(昭和一一)五月、馬場外字一大蔵大臣は議会で「一県一行主義」を表明した。個別銀行の経営危機を根拠にするという銀行合同政策を転換して「戦費支弁の為め公債消化力の増大を目標」とする一手段に位置づけられたのである(伊藤正直「戦時経済体制下の地方銀行」『両大戦間における金融構造』)。これ以後銀行合同は金融統制の性格が鮮明にうち出され、四二年五月には「金融事業整備令」が施行され、一県一行の早期実現をめざした金融機関の再編成が急速に進められた。
 福井県内の動向をみると、三五年一二月に若州銀行、四一年三月に三方銀行がともに大和田銀行に買収され、敦賀二十五銀行は三六年三月に大和田銀行に吸収合併された。また、四三年一二月には大和田貯蓄銀行が大和田銀行に吸収合併された。
 一方、四四年一二月に福井信託会社、四五年一一月に森田貯蓄銀行がともに福井銀行に吸収合併された。三五年一一月以来中越銀行(富山県)の翼下にあった第五十七銀行は福井銀行との合併交渉がまとまらず四〇年一一月に中越銀行に買収された。最後まで残った福井、大和田両行に対し、政府・県から新立合併が勧奨されたが、福井銀行は吸収合併を主張して譲らず、結局、四五年一〇月に大和田銀行が三和銀行(大阪市)に吸収合併され、一県一行が実現した。(通5、『福井銀行八十年史』)。



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