こうして県行政機構は戦争遂行のための県民動員と食糧増産を主眼とする生産力増強にその機能を集中させていくことになるが、一九四三年(昭和一八)三月の府県制、市制、町村制などの地方制度の広汎かつ画期的な改正(六月一日施行)は、こうした決戦体制化の総仕上げであった。換言すれば、一八八九年(明治二二)、九一年に公布されて以来、一九二九年(昭和四)までの数度の改正により徐々に分権化されていた府県制、市制、町村制に対して、戦局の深刻化により著しく逆行的な改正が大々的に行われることとなったのである。
四三年の改正の主眼は、府県制よりは市制、町村制におかれた。食糧増産、防空、貯蓄、供出・配給などの戦時政策遂行のためには、第一線機関である市町村行政の根本的刷新と高度の能率化が不可欠であった。府県参事会や市町村会の権限が大幅に縮小され、市町村長の各種団体に対する指示権をはじめとする総合的運用権限を強化し、これを上層監督官庁に直結させた。さらに市長、町村長の任命、認可権および解職権をも内務省や府県がもつことになった。また、市町村への国政委任事務が「命令」で行えるようになり、それによる国政委任事務の増加に対して最末端でこれを支える組織として、町内会・部落会が制度化(法人化)された。 |