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 第二章 日中戦争から太平洋戦争へ
   第一節 戦争動員体制の強化
    二 県行財政の戦時体制化
      地方事務所の設置
 一九四二年(昭和一七)六月、地方官官制の一部改正により、各府県に郡役所を再興するかたちで地方事務所(地事)を設置することとし、七月一日、全国いっせいに開所した(全国四二七か所、郡数は五一四)。戦局の拡大により、府県行政における戦時統制機能のいっそうの強化を必要としたことが、府県と町村の中間機関設置の理由であり、地事は食糧増産・配給、経済統制、部落会・町内会の指導、軍事扶助などもっぱら時局下の行政にあたることになった(『内務省史』1)。
 表41にみるとおり一一郡に八地事がおかれ、各事務所には総務課、兵事学務課・経済課・検査課が設けられた。新設された地事は、旧郡役所と比べ規模が非常に大きくなっており、総勢六〇九名のスタッフで最大が坂井地事の九〇名、最小でも今立および二州地事の五九名であり、本庁からも二六七名が転出した。文官任用令の奏任官特別任用の範囲が拡大されたことにより地事所長は地方事務官とされ、そのほとんどが県庁の主要課長から任命された。地事設置はまさに県庁機構の大規模な分散化であり、地方に八「分身」をもつことになったのである。なお、福井県木炭検査所・同出張所、福井県生糸検査所・同支所および福井県用材検査所・同支所は地事に吸収された。一〇月には各地事に一〇名から一四名の参与委員が民間から任命され、所長の相談にのり「下情上通」の任にあたることになっていたが、その多くは県会議員や町村長であり実態は上意下達をより徹底強化するためにおかれたのであった(「大正昭和福井県史 草稿」、『福井新聞』42・7・1、『大阪朝日新聞』42・10・2)。

表41 地方事務所

表41 地方事務所
 具体的な活動事例をあげると、若狭地事では所長以下が直接漁村に入って漁撈と販売の指導に乗りだし、高志地事では町村議員懇談会や町村長常会を開催して上意下達の徹底をはかろうとしていた。また、暗渠排水などの耕地整理事業も地事単位に予算がつき、地事の権限は若狭出張所と比べ格段に大きくなっていた。このほか地事は、満州移民の半強制的送出にも指導的役割を果たしており、太平洋戦争期の根こそぎ動員体制における府県行政のまさに「尖兵」であったといえよう(『福井新聞』42・8・25、27、10・7、43・7・30、44・2・13)。



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