目次へ  前ページへ  次ページへ


 第一章 昭和恐慌から準戦時体制へ
   第四節 恐慌下の商工業
    六 自動車交通の普及
      一九三三年の乗合自動車事業
 一九三三年(昭和八)末の福井県下の乗合自動車業の状況は、三一事業(一六所・一五主)、使用車一三八台、九六路線、路線総延長八六〇・五キロメートルであった(鉄道省『全国乗合自動車総攬』一九三四年)。表33は、三三年現在の事業所(主)の年別開業路線数を示したもので、二四年(大正一三)以降、運行路線が急速に増加するようすがうかがえる。

表33 乗合自動車事業所の開業数・路線数(1920〜33年)

表33 乗合自動車事業所の開業数・路線数(1920〜33年)
 事業所(主)を地域別・開業時期順に記すと、福井市四(越前自動車・福井自動車・加藤一雄・鮎川自動車)、足羽郡二(足羽自動車・東郷自動車)、坂井郡五(黒川自動車商会・下野与吉・谷川佳人・加茂又次郎・昭和自動車)、大野郡三(加藤兄弟商会・野辺太蔵・桑野伊作)、今立郡四(川端仁作・東川謙治郎・池田自動車・武浦自動車)、丹生郡二(西福自動車・丹生自動車)、南条郡二(福武電気鉄道・奥村喜太郎)、敦賀郡三(沢村吉助・前田義宗・構内タクシー商会)、三方郡一(川端家珍)、遠敷郡五(伊勢由一・荻野七太郎・小浜自動車・尾中金治郎・若狭自動車)である。資本金五万円以上のものは、福武電鉄をのぞき、沢村吉助(敦賀駅・敦賀町内および三方駅間の四路線)の六万円(興業費)、つづいて鮎川自動車(福井市・国見村および芦原村間の二路線、坂井郡西部地域の四路線)の五万五〇〇〇円、越前自動車(福井駅・北郷村間の一路線、勝山町・大野町および周辺村間の四路線、春江村内一路線)の五万円で、一万円以下は二社七主であった。使用自動車数(常用)は、最高が福井自動車(福井市内一四路線)の二九台、つづいて鮎川自動車の一二台、昭和自動車(三国町・周辺村間の四路線、雄島村内二路線)の八台で、二台以下が半数強の五社一一主であった。三〇キロメートル以上の路線は、足羽自動車の福井駅・今立郡上池田村稲荷間の三六キロメートル、同自動車の足羽郡下宇坂村小和清水・大野町間の三五・二キロメートル、加藤兄弟商会の大野郡五箇村西勝原・同郡上穴馬村東市布間の三二・二キロメートル、丹生自動車の国見村鮎川・西安居村本堂・福井市間の三二キロメートルで、五キロメートル未満が三分の一強の三五路線を占めていた。市・町内バスは、福井市内が一四路線、敦賀町内が四路線、武生町内が一路線で、最長でも三キロメートル前後であった。



目次へ  前ページへ  次ページへ