目次へ  前ページへ  次ページへ


 第一章 昭和恐慌から準戦時体制へ
   第四節 恐慌下の商工業
    一 「人絹王国」の誕生
      人絹糸・人絹織物価格の推移
 図23、24に福井における輸出人絹織物検査高および組合加盟銀行の倉庫の人絹糸、人絹織物在荷の推移を示した。まず図23によると人絹織物検査高は三四年以降毎月のように増加を続け、三七年二月にピークを迎え、以後急減する。一方、図24によると織物在荷は三四年上半期までの人絹景気の時期は低水準かつ低下傾向であったが、三四年下半期と三六年下半期に段階的に増大した。生産統制が八品種につき行われた三五年七月以降および全品種に拡大された三六年一〇月以降をみても在荷は減らずにむしろ増加している。生産統制が需給調節に成功していないことは明らかであった。また、アウトサイウダーの加盟で陣容を強化し、操短と増錘制限を行っていた人絹連合会についても図24によると福井市場の人絹糸在荷は織物在荷とほぼ同じ趨勢で増加した。
図23 福井輸出人絹織物検査高(1934年1月〜37年12月)

図23 福井輸出人絹織物検査高(1934年1月〜37年12月)


図24 福井組合銀行倉庫の人絹糸・人絹織物在荷(1932年4月〜38年3月)

図24 福井組合銀行倉庫の人絹糸・人絹織物在荷(1932年4月〜38年3月)

 価格の推移をみよう。図25は人絹糸・人絹織物相場である。人絹糸は三二年に第一の、そして三三年に第二の高騰を示した後に三五年初頭まで低下傾向をたどり、五月に操短が再開されて以降下げ止まり、三六年からは上昇に転じた。人絹織物価格も三二年にかなり大きな高騰を示し、三三年に小さな騰貴をみせたのち三四年末に低落しはじめ三六年以降上昇に転じている。人絹織物業の場合、次節で述べるように福井人絹取引所および福井市場における人絹糸相場が織物相場にも影響し、人絹糸相場の変動要因は、操短の有無、海外諸国の輸入防遏措置等の情勢、国内景気の動向などが複雑に絡み合っていた。
図25 福井人絹糸・人絹識物価格(1929年1月〜38年12月)

図25 福井人絹糸・人絹識物価格(1929年1月〜38年12月)



目次へ  前ページへ  次ページへ