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序章
  戦時期・占領期
 日中全面戦争の開始にともなう総力戦体制の確立から、太平洋戦争への突入と敗戦を経て、一九五〇年代初頭のアメリカによる間接統治体制の終了にいたるこの時期の特色は、行政領域の肥大化である。戦時期の動員と経済統制は、府県の地方自治団体としての機能を極度に制限してこれを国の出先機関化するとともに、国政委任事務を最末端で支える組織として町内会・部落会の強化がはかられた。と同時に、戦争遂行のために国民の協力をとりつけるべく、農村部を中心とした地方の疲弊状態の改善に取り組み、これらは戦後社会の形成の前提となった。実際、政府による米穀の流通統制の実施は地主的土地所有に制限を課したし、銃後の県民の体位向上を目的として結核予防体制や乳幼児保護体制など、保健衛生施策の面で飛躍的な発展が生じたのは戦時期であった。また大規模な地方財政調整制度の採用もこの時期からはじまる。こうした経済構造や国民生活について行政が大きな指導力を発揮してその改革を断行するというあり方は、その意図は異にするにせよ、敗戦後の占領改革でも同様であった。
 経済的側面においても、戦時期の諸施策の戦後への影響は大きい。福井県の代表的産業である人絹織物業も、戦時期に実施された指定賃織制度は戦後の系列化の萌芽となったし、また企業整備による織機の整理は戦後の経済復興の過程で機業が旺盛な復興意欲を示す前提ともなった。労働組合の結成も、産業報国会の下地のもとに労使協調的な企業別組合の組織化が福井県においても比較的スムーズに行われた。
 もちろん、戦時期の軍国主義体制と占領期のアメリカによる民主化指導体制との違いも重要である。日本の戦争遂行体制は欧米の戦争当事国には類例をみないほどに国民の犠牲を強いる体制であったから厭戦の気運も潜在的には強かった。しかし、逆説的ではあるが、それだからこそ勝利を勝ち取るためには国民一人ひとりが忠実な軍国の臣民たることを誇示せねばならなかったのである。実際、アメリカによる占領に対する抵抗はほとんどおこらず、民主主義は歓迎すべき思想としてその摂取に国民は積極的に取り組んだ。戦後の国民の主たる関心は、軍事から解放されて、経済生活の改善、および教育を通じた地位上昇にむけられた。農地改革と教育制度改革は、政治構造の改革以上に民主主義の受容にとって大きな意味をもっていた。福井県でもみられたように、戦後初期の民主主義文化を特徴づけるサークル活動が学校や農村部の青年団を拠点に展開されたことは、ある意味では象徴的なできごとであった。



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