目次へ  前ページへ  次ページへ


序章
  昭和戦前期
 昭和の初年から一九三七年(昭和一二)七月の日中全面戦争の開始にいたるこの時期の政治構造上の特色は、二五年(大正一四)の普通選挙法実施と浜口雄幸内閣成立を頂点とする政党政治とその退潮である。大正期に確立した政党政治は、地方長官である知事の人事を、議員の選出基盤への利益誘導の重要な手段として利用し、中央政権の交代は知事や内務・警察部長など主要地方官の交代に直結していた。他方、地区の有力者の推せんを獲得して選挙地盤を固め、地域への利益誘導の代弁者として議員が選出される状況は変わらず、普通選挙制の実施とは、有権者の拡大に比例した金権選挙のいっそうの拡大を意味していた。したがって、世界大恐慌に突入し内外の環境が困難になると、金権体質に染まり、利益分配をめぐる政争に明け暮れる政党政治は急速に国民の支持を失い、非選出部分の国家エリートである軍部および革新官僚が台頭することになる。福井県においても知事の人事は中央の政権交代に対応していたが、それに加えてほぼ全員が知事としての最初のキャリアを福井県で迎えるという具合で、福井県は明らかに「三等県」としての処遇を中央からうけていた。しかしながら、これに対する県会も、役員争奪や主流派工作に明け暮れて知事との明確な利害衝突もおこらなかった。したがって、満州事変を契機とする軍部によるマスコミを利用した国民のイデオロギー的誘導や、中央の革新官僚の主導する官製国民運動が効を奏しはじめると、議会政治の形骸化はいっそう進むことになったのである。大野郡小山村吉田徳五郎村長の一風変わった農本主義の実践も、単なる皇国農村の建設運動というよりも、マスコミを介した大衆へのアピールという、議会の回路とは異なった国家からの利益誘導の経路が確立しつつあったことを示す証左として読み換えることも可能であろう。
 一方、日本経済は他の先進資本主義諸国に先駆けて世界大恐慌からの回復が行われたが、これは、低賃金と為替の大幅下落に支えられた、繊維製品を中心とする輸出の伸びに負うところが大きかった。一九二〇年代末に絹織物にかわる主力製品としての地歩を獲得した福井県の人絹織物は、綿織物につぐ主要輸出品として、急成長を示した。福井市では人絹糸の一大消費地として人絹糸取引が隆盛をきわめ、投機的な清算取引の解消を目的として、三二年(昭和七)五月には福井人絹取引所が開設された。こうした人絹織物の急成長により、福井県の場合、山間地や沿岸部は別として、とりわけ嶺北の平野部ないし盆地地帯において、恐慌の打撃が比較的緩和されたといえよう。他方、農村部への機業の進出が急速に進み、婦女子を中心とした在村通勤者を抱える職工農家の群生は農村社会の変容をもたらし、機業地周辺の農村では中堅以上の地主経営がしだいに困難に直面するところも現われたのである。



目次へ  前ページへ  次ページへ