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第六章 中世後期の宗教と文化
   第二節 仏教各宗派の形成と動向
    一 天台・真言系寺院の活動
      若狭の天台・真言系寺院
 近世に調査されたところによれば、中世の若狭における天台・真言系寺院の数は三二か寺で、若狭の寺院数の一五・四パーセントにあたる。各宗派別の寺院数は表66のとおりである(『若州管内社寺由緒記』)。また文安二年の奉加人数注進状によると、若狭に所在した天台・真言系寺院については表67のようになる(ヌ函一六七〜一八五、オ函一五六)。それによれば、越前の豊原寺のような巨大伽藍や数多くの末寺をもつ寺院はなく、入り組んだ谷間や山中にそれぞれ独立した寺院として所在するものばかりである。

表66 中世後期における若狭の宗派別寺院数

表66 中世後期における若狭の宗派別寺院数


表67 文安2年東寺修造奉加に応じた若狭の寺院

表67 文安2年東寺修造奉加に応じた若狭の寺院
 表67にみえる真言系の寺院を郡ごとに分けて概観してみると、遠敷郡一一か寺、三方郡五か寺、大飯郡六か寺と圧倒的に遠敷郡が多い。また草創時期についても遠敷郡の寺院に古代にまでさかのぼる古いものが多く、各寺の縁起によれば、神宮寺・多田寺・妙楽寺・羽賀寺・谷田寺が八世紀代に、明通寺・中山寺・飯盛寺などが九世紀代に草創されたと伝えている。これら古代に成立したといわれる寺院は、山岳信仰の場として開創され、平安中期から鎌倉期にかけて国衙の官人層との関わりをもちながら、あるいは荘園領主との関わりにより荘園の発達の過程で発展し、それらの人びとや地頭・領家・近在の百姓らの寄進によって寺領を拡大して、堂塔伽藍の整備を行なってきたものと考えられる。このことは、現存する各寺の本堂が鎌倉期から室町期に集中すること、また彫刻のほとんどが平安中期から鎌倉初期にかけて造像されたものであること、各寺院の分布がそれぞれ荘園に属する地域に所在することなどから、一応の裏づけができるであろう。



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