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 第四章 戦国大名の領国支配
   第二節 朝倉氏の領国支配
    四 家臣団編成
      軍事編成
 戦国大名の領国支配を支えるものは軍事力である。英林孝景の越前平定以来、朝倉氏は着々と軍備を整え、その兵力は朝倉一乗衆精兵五〇〇〇・修理進(朝倉景冬)敦賀兵三〇〇〇・慈視院大野兵二〇〇〇、計一万人とあり(『蔭凉軒日録』延徳四年正月三日条)、また越前朝倉衆は六番に分け、番ごとに二〇〇〇宛、計一万二〇〇〇員とも記されている(同 明応二年五月三日条)。後世の編纂物であるからあまり信頼はできないが、「朝倉始末記」の記述では、永正三年七月に三〇万人の加賀一揆勢が越前に侵攻してきたとき、九頭竜川の南岸に対陣した朝倉勢は一万一〇〇〇騎を数えたといい、また元亀元年四月に江北の浅井氏救援のため出兵したさい、大野・金津・織田など領国内の配備に四五〇〇余騎、一乗谷留守に二〇〇〇余騎を残し、義景に従軍した軍勢は計一万四一五〇余騎となるから、朝倉氏の兵力の概要を知ることはできる。しかし朝倉氏支配下において家臣がどのような基準で軍役を負担したのかは、朝倉氏の知行制がはっきりしないこともあって明確にすることができない。また、他の戦国大名において採用されている寄親・寄子制についても明らかでない。



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