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第三章 守護支配の展開
   第三節 室町幕府と国人
    一 国人層の活動
      国人層
 国人とは、室町・戦国期において、地方の地頭・荘官や有力名主らが自立して在地に支配力を及ぼし、荘園領主と対抗しながら勢力を拡大して郷など一定の領域を支配するようになったものをいう。国人たちは、外部から入部した守護に対抗するため地域的な連合体である党や一揆を結び、一郡ないし一国的規模で行動する場合もあったが、守護の領国支配が強まるにしたがってその多くが守護の被官になっていった。一方、守護の被官になっていく国人に対して、将軍と直結し、本領において守護使不入の特権が認められた奉公衆が存在した。
 ここでは、このような国人領主の実態に迫るため、越前国坂井郡の興福寺領河口・坪江荘を舞台に活躍し、藤原利仁の子孫と伝えられる堀江氏、また、鎌倉幕府御家人として若狭国大飯郡本郷の地頭職を得て若狭に下り、室町期には奉公衆を務めた本郷氏をとりあげる。堀江氏の在地支配の様子を通じて、国人領主層の在地支配のあり方を、また本郷氏の所領をめぐる惣領と庶子間の相論を通じて、奉公衆と守護の関係さらには室町幕府の奉公衆に対する政策などについて検討する。



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