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 第一章 武家政権の成立と荘園・国衙領
   第六節 荘と浦の変化
    四 市場と銭貨流通
      特産物の商品化
 このように考えると、一般には代銭納化は基本的納入物である米・絹について始まるのではなく、その地の特産物を中心に商品化が始まり、それによって得られた銭が代銭として納入されるようになるのではなかろうかと考えられる。例えば坪江郷では、正和五年(一三一六)に郷内で日吉十禅師御簾神人が活動していることから、簾の素材が商品として売買されていたことが知られ(「雑々引付」)、以前は「御簾米」として納入されていたものが(「坪江上郷条々」)、代銭納化していくものとみられる。越前における代銭納の代表的事例である、大野郡牛原荘井野部郷の徳治三年(一三〇八)の算用状に記された代銭納と現物の額を表9に示す(資2 醍醐寺文書三八号)。ここでは現米と雑公事が銭納化されているが、布と絹(綿・小袖絹・糸)はごく一部が銭納化されているだけで、大部分は現物で納入されている。現米が銭納化されているが、これは運送費がかさむことを避けるため、代官が百姓より収納したあとにしかるべき問に売却して銭貨で納入したものと思われる。注目されるのが五月から七月にかけて「散田所当・名一色」が銭で納入されていることで、通常であれば散田も一色田も公事のない年貢だけ負担する田地を意味するのであるが、稲の収穫時期でないときに納入されているので、おそらく特産物を売却した銭貨を充てていたのであろう。その特産物を特定することはできないが、牛原荘は領主である醍醐寺に対し、臨時負担として料理の最も豪華な六本立饗の負担を義務づけられていたことが参考になろう。この六本立饗膳は他の膳にないものとして「御菓子八種」(菓子とは果実や木の実をさす)と「薯蕷(山芋)粥」が添えられることになっていたが(同二四号)、これが山間の荘園である牛原荘の特産であると考えられ、こうしたものが「商品化」しやすい産物と考えられるのではあるまいか。

表9 徳治2年分の大野郡井野部郷の年貢・公事

表9 徳治2年分の大野郡井野部郷の年貢・公事



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