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 第七章 若越の文学と仏教
   第一節 郷土と文学
    四 説話文学
      甲楽城の山伏の物語
 『宇治拾遺物語』三―四には「これもいまはむかし、越前国かふらきのわたりといふ所に、わたりせんとて、者どもあつまりたるに、山ぶしあり。けいたう坊といふ僧なりけり」で始まる「山ぶし舟祈返事」と題する説話がある。この話もほかの説話集に類話はみられないようである。「けいたう坊」という山伏が「かふらきのわたり」の船頭に「渡せ」と命じたが、満員のため船頭が舟を出してしまったのに腹を立て、数珠を押しもんで祈し、舟を手もとに引き寄せたうえ、ひっくり返してしまったので、二十余人が海中に放り出されたという話である。あまり褒められる所業と思われないが、『宇治拾遺物語』の作者は、「世の末なれども、三宝おはしましけりとなん」と称讃している。
写真126 河野村甲楽城付近

写真126 河野村甲楽城付近

「かふらきの渡」というのは、南条郡河野村甲楽城のことであろう。そこは平安時代には「わたりせむとする者、雲霞のごとし」とあるから、その繁栄ぶりが察せられる。おそらくは越前国府(武生市)の外港として栄えたのであろう。また、その渡しには、このような荒くれ修験者も白山あたりからやってきたと考えられる。
 こうした説話を通じて、越前という地域のもつ経済的・政治的な地位がいくらかうかがいうるように思われる。
 



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