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 第七章 若越の文学と仏教
   第一節 郷土と文学
    四 説話文学
      敦賀の女の物語
 「越前国敦賀の女の物語」は『今昔物語集』一六―七にみえるが、類話は『宇治拾遺物語』九―三、『古本説話集』下五四にもみられる。ただし『古本説話集』の類話は摂津輪田(神戸市)の話となっているので、若狭・越前に関する説話とするのは適当でない。
 「今昔、越前ノ国、敦賀ト云フ所ニ住ム人有ケリ。身ニ財ヲ貯ヘズト云ヘドモ、構ヘテ世ヲ渡リケリ」(『今昔物語集』)
とあるので、その「敦賀に住んでいる人」はとくに豪商というほどではないが、商売人として世間を渡っていたさまが偲ばれる。この人に娘が一人あり、男運が悪く、たびたび夫に去られ、両親の死後独居生活を続けていた。「親の物の少しありける程は、使はるる者四、五人ありけれども、物失せはててければ、使はるるもの独りもなかりけり。物食ふ事かたくなりなどして」(『宇治拾遺物語』)とあるので、零落ぶりがうかがわれる。
 ところが、その大きな家に、或る日旅人が多くの従者をしたがえてやってきた。『今昔物語集』には「此ノ男ハ、美濃ノ国ニ勢徳有ケル者ノ一子ニテ有ケルガ、(中略)若狭ノ国ニ沙汰スベキ事ノ有ルヲ行ク也ケリ」とあるので商人のようであるが、『宇治拾遺物語』では「美濃の国に猛将ありけり、それが独り子にて」とあり、武将の一族のようである。この男は妻に先立たれ、妻に似た女を娶りたいと思っていたのであるが、この敦賀の独居の女がその条件に叶っていたので心惹かれ、若狭からの帰路、契りを結び、美濃に伴って帰ることになる。この間、女は郎従たちに食わせるものもないと気を揉むのであるが、平生信仰する観音の加護によって、すべてうまく運ぶことになる。
 この話から知られるのは、やはり商業の基地・交通の要衝としての敦賀の性格である。もちろん『古本説話集』が摂津輪田になっていることからもわかるように、商業・交通の要衝ならば、どこでも成り立つ話であろうが、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』とも、美濃の男―敦賀の女―若狭に所用という大筋を崩していないところをみれば、元来この土地から発生した話としてよいように思われる。
 



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