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 第七章 若越の文学と仏教
   第一節 郷土と文学
    三 漢詩―酬唱文学―
      都良香と藤原佐世
 都良香は平安朝を代表する詩人であり、『都氏文集』三巻を留めている。貞観十八年以降に越前権介をつとめ、元慶三年(八七九)三六歳で卒したときもなおその官にあった。
 貞観十三年五月、渤海使楊成規の一行一〇五人が加賀に到着し、翌年五月十五日入京した。同二十三日、大学頭兼文章博士巨勢文雄とともに、文章得業生である越前大掾藤原佐世が、鴻臚館に渤海使らを饗応している。藤原佐世が従七位下の低い官位で、こうした大役を務めているところをみると、語学ならびに詩文によほど堪能だったのであろう。おそらく加賀より京までの道中においても、渤海使人と応接していたものと思われる。
 このとき掌渤海客使の役をつとめたのが少内記都言道であった。言道は「その名が佳令でなく、遠人に示すに足らない」という理由で良香と改名した。それほど彼は、この渤海使の接待に大きな意義を認めていたのである。残念ながら楊成規と唱和した良香の詩は残っていない。ただ「渤海客に贈る扇の銘」という賦が残っている。
  時に随ひて用を致し、夏に在りて功を為す。
  君子の重んずる所は、仁風を扇揚するにあり。(後略)
これに対し楊成規は貂裘・麝香・暗摸靴などを贈った。良香はこれに「中夜に相ひ思ひ、琴声を発して、遂に以て詠を成す。(後略)」の懇書を送った。五月二十五日、別れに臨んで楊成規は涙を流して衿を沽し、都良香は門を遮って盃を勧めたと『三代実録』は記している。
 



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