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 第六章 若越中世社会の形成
   第五節 平安中・後期の対外交流
    二 日宋貿易と若狭・越前国
      若狭・越前国と日宋貿易の衰退
 これまでみてきた来航記事やそれにかかわる交易記事、また康和二年の例にみえるような敦賀津での宋人の長期滞在者の存在などから、若狭・越前国では大宰府に次いで日宋貿易が盛んであったようである。それとともに、宋人と国司らとのトラブルも多発したようだ。たとえば若狭・越前国への宋人の来航に関する現存史料では、平安時代では元永二年ごろが最後となる。最後の史料である『唐大和上東征伝』(東寺観智院旧蔵本)第十九紙の紙背文書では、若狭国にここ一、二年ほど宋人が来ないのは、国司の「御苛法」によるとされている。これ以降、宋人の若狭・越前国への来航記事がみえないのは、国司が宋人から不当に貨物を差し押さえることをしたために来航しなくなり、貿易そのものが衰退したと考えるか、あるいは史料的制約によるのかなどを容易に判断することはできない。文献史料が乏しいだけに、今後は考古学的な発掘成果に期待をかけざるをえない。その点、注目されるのは中国製の釉をかけた陶磁(貿易陶磁)の出土である(亀井明徳『日本貿易陶磁史の研究』)。貿易陶磁は福井県下での出土例がきわめて少ないものの、敦賀市深山寺経塚群などで出土しており(写真118)、今後このような貿易陶磁の出土が大いに期待されるところである。 写真118 貿易陶磁(上:青白磁合子、下:青白磁輪花皿 宋大12〜13世紀)

写真118 貿易陶磁(上:青白磁合子、
下:青白磁輪花皿 宋大12〜13世紀)




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